一区切りつけてきました、もう十分ですよね
以前家族のことを質問させていただきました。その節は大変お世話になりました。
心療内科にもかかり鬱手前の適応障害と診断されましたが何とか持ち直し、お陰様で気持ちもだいぶ落ち着き自分が後悔しない選択を冷静に選ぶことができました。
結局旦那と相談し、自分でも考えて「妹の結婚式には祖父母の為に出席する」ことにしました。
家族みんなの衣装を用意して、ご祝儀も10万円用意して、その前にも数万円+品物を前祝いとして渡していましたが「最期の付き合い」だと割り切って相当悩みましたが出しました。
更に当日お相手の親御さんに私と旦那からお土産も渡しました。
全部自分でやりたいと思い旦那と相談したことをやりました。
結果、引菓子と会場名入りのタオルと乾物を頂いて帰りました。
引き出物の用意は無く「やっぱりな、私のことを格下に思っているからご祝儀は当たり前に貰っても半返しや内祝いのような品も贈るに値しないと思われているんだな」と再確認して、悲しいですが無理やり納得しました。
後日妹から「ご祝儀もらったから、はい手紙」と、手紙を一通渡されました。中には当日来てくれた感謝やご祝儀への心遣いなどへの感謝が「印刷」されていました。多分他のちょっと多めのご祝儀を出した方々へのお礼状と同じ物だと思います。
手紙の最後には「後日改めて内祝いを送ります」といった言葉で締められていましたが、後日内祝いが届くことはありませんでした。
私だけでなく追い打ちで旦那も格下認定された悔しさがありましたが、相手は作法に対して不作法で返してきた。これで今後なんの義理立てもしなくて済むのだと思い、数か月経ってやっと気持ちの整理がつきました。
今後はお正月と盆くらいの付き合いで終わらせたいと思います。あちらは子供たちの誕生日などを祝いたいようですが、正直嫌です。
出来れば子供たちの写真なども渡したくありません。
もうこれで十分ですよね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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懸情流水 受恩刻石
お疲れ様でした。
「懸情流水 受恩刻石」という言葉があります。
訓訳しますと、「情(なさ)け懸けしは水に流し 恩を受けしは石に刻むべし」と読むと思います。一般には、「かけた情けは、水に流し 受けた恩は、石に刻め」と知られているようです。
やるべきことはやったんですから、後は見返りを求めず、程よい距離を置いて最小限の付き合いをしていけば宜しいと思います。何とかは他人の始まりという俗諺がありますが、案外言えているのかも知れません。とは言え、今後あなたの御両親が年齢を重ねていく中で、介護、御臨終、葬儀、相続等の課題が必ず発生します。完全なる「縁切り」は不可能です。距離を置くことは止むを得ないことですが、敵対関係にはならないよう注意しましょう。
質問者からのお礼
ご回答くださりありがとうございます。
「見返りを一切求めない」というのは金銭的・経済的には出来ても、精神的にはとても難しいことなのですね。友人知人には出来るのですが血のつながりがある分、そこに縋って期待してしまっているのでしょうかね…。肉親なのにそこを信じられなくなるのが寂しい気もしますが、私はやれるだけのことをした後なので、仕方がないですがこれが双方の運命だと思い諦めます。
法律的にも倫理的にも直ぐに完全に「縁切り」ができない以上、精神的に無理のない範囲で付き合ってゆこうと思います。
幸い私には旦那と子供という家族がいて、私の見方でいてくれるので心強いです。
「敵対関係にならないように」というお言葉が一番響きました。相続等の課題が終わるまでは穏便な関係を繕えるように頑張りたいと思います。
ありがとうございました。