辛いときにやること
八方塞がりで身体共に心がストレスでどうにかなりそうです。
これまで、それでも自分に御褒美を与えて乗り越えたり
楽しいと思うことを自分で探したり他のコラムや教訓めいたもの
偉人達の名言、お坊様達の悟りなど読み漁り気を紛らわし
なんとか生きて来た部分もあります。
でももう数年もこんな状態だと自分でもおかしいと思います。
私はもっと幸せになってもいいのではないか
自分で自分を不幸にしてないかと思っても現実は上手くいかず
ストレスを酷く感じるようになりました。
これ以上ないどん底を何度か体験し、どん底ならあとは這い上がるだけだと希望を持ち、自分はもっと幸せになってもいいのではないかと
周りを見て疑問を持つようになりました。
ネット:いい人もいるけど数えるくらいで悪意を向ける人も同数かそれ以上いると思っている。心当たりなく、勘違いを勝手にされ、発言も気をつけていたのに向けられる敵意に疲弊し希望も努力もズタズタにされ悔しい。自分に落ち度はなくても変な人に目をつけられやすい
仕事:年配者のモラハラパワハラに耐えながら最初は苦痛で私生活にも支障が起きてたがネットの件があり「あっちよりはましだ」ときつかった期間も乗り越えた。でも毎日がしんどくて辛い。時々叫びたくなったり泣きたくなったりする。周りは笑ってるのに自分だけが笑えず楽しいと思うことがない
家族:姉がどうしようもなく自殺を盾にして金銭を要求しているのを見るたびに死んでくれた方がましかもしれないと最初は引き留めてたのが呆れてしまって救いようがなく、姉のせいで睡眠障害に陥ってしまった。ギャンブル狂になった彼女を助けてあげてという人がいたら、その人が助けてあげて欲しい。むしり取られる一方の家族を見ると
真面目に生きてる人間が不真面目に生きてる人間によって不幸にされてるのが許せない
男性:怒鳴れば言うことを聞くと思ってる人が許せない。
偏見持ちの父を許してない部分がある
それらと毎日付き合っていくうちに頑張ろうという気持ちも砕けて
全部やめてしまいたいどこか遠くに行きたい自分が先に死んだ方が
もう苦しくないのではないかと思うけれど、それを許さない自分もいます。
美味しいもの食べて母をいっぱい喜ばせて猫と暮らして
幸せに平穏に暮らしたいだけなのですが
生きるって難しい。良いストレス発散ってありませんか
煙草は吸いません
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
穴があいた容器のような今の心
幸せに生きるって難しい…同感です。
仏教では、幸せって
「楽しいこと」「美味しいもの」など"刺激"で得られるものではないと説きます。
なぜならすぐに忘れるから。
また「他者と比較する」ことは幸せから余計に遠ざかることです。
厳しい言い方ですが、、、
ネットで悪意を向ける人のせい、仕事の年配者のせい、お姉さんのせい、お父さんのせい。
こうして自分の不幸を人のせいにしている人には幸せの青い鳥は飛んできません。
仰りたいことは分かります。
どれも非常にストレスでしょうね。
でも、まず「~のせい」を手放して欲しいと思います。
例えば、もし宝くじが当たってイケメン彼氏ができて最高にハッピーだとすると、上のことは今より全然ストレスにならないでしょう。
宝くじを買え、彼氏を探せと言ってるわけじゃありません(^^;)
まずは「自分の心の状態が自分を不幸にしている」と知ることです。
そしてそんな自分を許してあげましょう。
文章を読んでいると、なんだか自分に厳しく、完璧主義な傾向があるように思えました。
違う見方で言うと、幸せになろうと焦っている、不幸な自分が許せない。
そんなイメージ。
今みたいに心の容器に穴が空いてしまっていては、一時満たされたとしても、穴からこぼれ落ちてしまいますよね。
まずはそんな今の心を見つめましょう。
心の穴は"不機嫌な思考"(悪意・嫉妬・失望・落胆・怒り)で広がります。
積極的にそれらを手放し、事柄から離れるようにして努めましょう。
仏教の修行は、実は心の穴埋め作業になるんです。
・朝早く起きて日の光を浴びる(セロトニン分泌!)
・掃除をしてキレイにする(ストレス解消に効果有り)
・ゆっくりご飯を食べる(よく噛んで唾液を出して免疫UP)
・大きな声を出して読経する(癒やしの効果)
・写経する(脳トレ、集中力UP) ・座禅(言わずもがな)
日常に取り入れていくと結構イイんですよ。
幸せの青い鳥って、探して探して、結局自分の側にいました。
すぐには幸せになれないかもしれません。
けれども何年後かに「あの時はしんどかったし若かったなぁ。でも私も変わったなぁ。少しは幸せに気付けたなぁ」って思えます!必ず。
質問者からのお礼
幸せになる方法で~のせいはNGだというのはわかってるんですよね。
だから1度はそう思わずに前向きに過ごそうと頑張ってた時期もありました。
他の人よりはましだと恵まれた部分に目を向けてありがたく思うことを心がけてました。
でも、ダメだったんですよね。
完璧主義と言われて、そうでもないと思うのですが正義感が強いとは言われてます。
何事も筋が通ってないと納得できず、でも許容の範囲なら許せます。
「あのときはしんどかったなぁ」というのは
もうすでに実感してることがいくつもあって
その時の自分を助けることができなかったのが
人生の後悔の1つになってます
だからこそ、自分はもっと周りのように笑ったりしてもいいのではないかと気づくことができ、自己肯定もするように気をつけてます
幸せになるって難しいですね
傷つけられた心のケアも難しいです
仏教の過ごし方はとても健康的だと思います。
健康的に過ごしても外部からの不幸をもたらされると、やはりその影響に引っ張られてしまうので難しく感じます