楽な方に生きる私は甘いですか?
私はこれまで何度も転職を繰り返し、その回数は片手では数えられなくなります。新しい職場に就いた当初は「ここでは長く頑張ろう!」と思うのですが、半年もするとその職場の嫌なところばかりが目につきます。
転職を繰り返してわかったのは、問題のない会社なんて無いということ。セクハラ、パワハラ、社内イジメ、サービス残業、サービス休日出勤等……何かしらありました。大半の人は、そんな理不尽も飲み込んで、黙って仕事を続けているのでしょう。でも私はそれが耐えられません。社会は私を「甘い。弱い」と評価するでしょうが、法を守れないのは会社なのに、なんでこっちが責められなきゃいけないんだ…とモヤモヤします。
仕事にやりがいを感じて、楽しく勤めている人もいます。でも心をすり減らして鬱病になったり、「もう嫌だ。死にたい」と言いながらも這うように出勤している友達がいます。耐えられない人間は弱いのでしょうか?
自己弁護しているとは思います。私は我慢が足りないとは思います。でも、もう少し楽な生き方はないか、今模索しているところです。違う働き方について、情報収集しています。
仏教の教えかは忘れてしまいましたが「生きることは修業だ」と聞いた事があります。楽な生き方を求める私は、お坊さんにはどう映りますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
楽を求めて下さい
拝読させて頂きました。
私はあなたが本当に楽を求めて、様々に正しい道を求めていく事は良いことだと思います。
違法な事や無理な事をなさるのはいかがかとは思います。
あなたが求める本当の楽をどうか求めていって下さい。
世の中は「楽」の意味をはき違えています。本当に意味を間違っています。
本当の楽とは一切の苦痛や迷いなく憂いなく、心穏やかにして円満なる心地です。
ですから仏様のお浄土は極めて楽なところ、極楽なのです。
あなたがこれからの未来心豊かに迷いなくお仕事に打ち込まれて、心健やかに充実した毎日を送って頂きます様心から神仏にご祈念申し上げます。
余裕は誰かが与えてはくれない。自分で作るしかない。
「安楽な人生」を求めることは、正しい生き方です。ストレスも無く、心穏やかに生きられれば、いいですよねえ。でも、会社に勤め、給料をもらって生活の糧としていくためには、会社の利益があがるように働いていくことが必要です。このへんのところが難しいですね。
勤務している会社の状況を御質問だけで理解するのは難しいですが、居心地が良いとは言えないようですね。初めから働きやすい恵まれた環境の職場なんて、そうそう有り得ないでしょう。
昔は、上司や先輩がじっくりと新入社員を一人前に育てていくという風土が職場の中に存在していたと思います。私は大学卒業後サラリーマンをしていた時期がありますので、そういう風土の有った時代を経験してます。但し、これらの風土は、ハラスメントやサービス残業等と表裏一体の部分があります。部下や後輩を指導してあげようという親切心や思いやりを持って行動しても、受け手によってはセクハラ・パワハラと受け止める場合もあります。仕事の成果を出すためには、定時出勤定時退社を優先していられない場合もあります。私はハラスメントを肯定する気もありませんし、ブラックな職場を止むを得ないというつもりもありません。良い職場環境のためには、経営者や上司や先輩の尽力が必要です。しかし、同時に、あなた自身がどのように職場の方々と関わって行くかという点も大事です。他の同僚の方々と良い職場環境を作り上げていくための努力は、必要です。
スポーツや趣味の世界でも、其れぞれのジャンルを楽しむためには或る程度の練習や研修が必要です。基礎体力の養成や知識・技術の習得が求められます。これは仕事にも言えることです。仕事をしていく上で「余裕」を持つには、それなりに上司や先輩から学び、仕事上にスキルを身に付けることが必要です。そういう「余裕」が出来れば、今までよりも「気が楽に」仕事は出来ると思います。タイトルに「余裕は誰かが与えてはくれない。自分で作るしかない。」と書いたのは、そういう意味からです。心穏やかで、円満な職場であって欲しいですよね。でも、そのためには、ふうかさん御自身の努力も必要かと思います。
仏教の世界でも「安楽」を得るには、修行が必要です。読経、礼拝、聞法等を繰り返し繰り返し、修行を重ねていくことです。