息子への干渉
高校生の息子がいます。
息子は勉強が嫌いと言っていますが、賢い子です。
ただ、いつも自信がなく「どうせ俺なんて」と言います。私立の中高一貫の名門中学校に通う妹と自分を比較しているのかも知れません。
私は常に人の幸せは学問だけではない。息子のやってみたい事に本気でチャレンジするなら応援するよ。と、言っていますが、息子は音楽大学に進学したいと言いながら、音楽経験や知識もないのに努力する素振りも見せず、日々遊んでいて学校の成績も芳しくありません。留年の危機もありましたが、それを繰り返さないという意思も感じられません。
私は息子にいい大学に入って欲しい訳ではなく、息子が自立して社会に通用する人間になって欲しい。それが出来たら職業は問わないつもりですが、どうしても親心が出てしまい苦労しないためにはという考えで息子に進路のアドバイスをしてしまいます。
何事にも中途半端な考えになってしまった息子を、どうしたら地に足をつけた考えに導けるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
待つのはオヤジの修行。
”いつも自信がなく「どうせ俺なんて」と言います”
高校生の息子さんですよね?きっと今、そういう時期なんですよ。
もうじき大人にならなきゃいけないのに、世の中の景気の良い話もほとんど無いし、今後、果たして世間様が自分を必要としてくれるのか、この先が不安で仕方がないのでしょう。
オヤジは、本人がいざやる気になった時の援助の準備だけ整えて、じっと待っていてやって下さい。
自分のいのち、存在の尊さに気がついて、父母、先生、友達、ありとあらゆるものに感謝の念が湧き起こる感覚?「感謝」とはよく言ったものでして、何か悪いことをしたわけでもないのに「なんかゴメン」と言いたくなる感じ?そういうものが必ず心の奥から吹き上がってくるような出来事が今後必ず起こるはずです。そのときは、ぜひうまい酒でも酌み交わし下さい。
大丈夫ですよ。やる気なし、ヤケクソに見えますが、胃に穴が空くほど、頭に十円ハゲができるほど、小便に血が滲むほど悩むのも、人によっては時として大変重要なプロセスの一環です。
ただひたすら、陰でこっそり心配してやって下さい。息子さんから頼ってくるまでは、排斥するわけでもなく怒るわけでもなく、できるだけそっとしておいてやってください。のたうち回ってもがき苦しみ道を求めるのは息子さんの修行、立ち上がってくるまでじっと待つのはオヤジの修行かと思います。
おそらく子どもが完全に自立するまでは、お父さんの心配事が尽きることはまずないでしょう。しかし、我々オヤジもそこからラクになろうなどと思わずに、背負い切る、息子に付き合い切る気合が必要だと思われます。
今はとにかく【機が熟す】のを楽しみに待っていましょうよ。
ご同輩。
質問文、それから転落院さんの回答を読み、「全くもってその通り」としか言葉がありません。
ただ一点、仕事の事とか何やらについて、素の姿を見せる(というより隠さない)ようにしています。
この質問に、同じようにうなづいている方は、少なくないと思いますよ。つまり、「これが真っ当な道」なのだと思います(信じます、か?)。
質問者からのお礼
オヤジの修行。なるほど、そうか!と感じ入りました。息子のことより、今は見守る時期であり困った時に受け止める自分の準備期間と捉える事なんですね。
息子には息子の試練があるのだから、これからは私は私の修行をして行こうと思います。息子に余計な手出し、口出しはしないようにします。
ご助言、ありがとうございます。
佐藤良文様
ありがとうございます。
真っ当な道
仰る通りです。
私はどうやら自分を見失っていたようです。
息子の人生ですから、父親の人生ではありません。私は忍耐を学ばなければいけない事を悟らせていただいたと思っています。