ひとりで生きていく決断は寂しいのでしょうか?
ライフワークもライスワークも順調で、一人で生きていけるだけの覚悟もできていルのですが、母にその話を何気なくしたところ「でもやっぱり寂しいなあ」と呟かれてしまったことが心に引っかかっています。
ということは自分も気にしているのだなあと。どのように自分の人生を肯定すればいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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本当に生きたいように生きてみる
ご相談拝読しました。
「一人で生きていく」とはどういう状態のことを言ってるいるのでしょう?結婚しない、お付き合いしない、子どももいない…といった感じでしょうか?
ライフワークとライスワーク、つまりお仕事や生きがいについては順調とのことですから、そちらでは多少なりとも人との交わりが有ることでしょう。でもそれらの関わりはあなたの中では「一人で生きていく」という定義から外れない程度のものであるということですね。
でも「一人で生きていけるだけの覚悟もできていル」というのと「実際に一人で生きていく」というのは違いますよね。別に是が非でも一人で生きていくと決めたわけじゃないでしょう?
例えば、好みでしかも条件のいい男性から交際を申し込まれても、私は一人で生きていくと決めているからお断りする…というわけではないですよね?
でもそれってみんな同じでしょう。縁あれば一緒になることもあるし、生涯一人で暮らす縁もある。
だから「一人で生きていけるだけの覚悟」って大事な事だと思うんですよ。人はみな一人で生まれ一人で死んでいくのですから。
それでもやはり、寂しいものは寂しい…それなら「一人で生きていけるだけの覚悟」を持ちながらも、恥ずかしがらずに縁を求めたらよいと思います。あるいは今ある縁に目を向けて、男女関係や結婚という縁のみにとらわれずに、ライフワークの中での縁・人とのつながりを大事に生きていく道もあるのではないでしょうか。
どんなご縁も相手が有ることですから求めても思う様にはいきません。それでも求めないことにはやはりととのう縁もととのはないでしょう。
「もうこうすると決めた」とか「どうせダメだから今を肯定しなきゃ」とか型に押し込むことなく、その時その時のあなたの気持ちで生きたいようにご縁を求めてみてはいかがでしょう。
「一人で生きていけるだけの覚悟」があるのなら何も恐いことはないと思いますよ。
こうして今ここで私もあなたに関わりをもったのです。一人で生きていこうと思ってもそうさせてくれない縁に身をまかせてみては?
一人で生きていく決断は正しいと思います
一人で生きていく決断は正しいと思います。
家族が居てくれても、医師や介護職が臨終の場に立ち会ってくれても、最期は一人でこの世に別れを告げざるを得ないと思います。家族や友人が居ても「ずうっと一緒」「永遠に一緒」ということは不可能です。残念ながら、期間限定というしかありません。そういう現実をしっかり見据え、そういう現実に向き合う姿勢は大事だと思います。
以前、質問の趣旨はむしろ正反対かもしれませんが、或る方の質問に対して孤独ということについての考えを述べさせていただきました。ご参照下さい。
「孤独感を無くすためにどうしたらよいですか」 https://hasunoha.jp/questions/677
期間限定で有るからこそ、同じ時間を過ごす家族や友人の存在は大事だと思います。いつか必ず別れの時が来ます。永遠に一緒に居ることは不可能です。だからこそ、家族や友人と共に過ごす「今という時」は大切な時間だと思います。
我々は、母親の胎内から誕生し、遺体となったこの身体を棺に入れてもらうまで、必ず誰かのお世話になります。好むと好まざるに関わらず、他人と関わっていかざるを得ません。いつか必ず一人寂しく生きる時がくるからこそ、他人と関わる時には良い人間関係を築き、良い交流に努めたいものです。
座間の殺人犯、路上の通り魔等、いつの時代も物騒です。我々の命も財産もいろんな危険に晒されており、不安と不信に苛まれることも少なくありません。でも、一方で「その中、そんなに捨てたもんじゃ無い。」「生きてきてよかった」と感じる時もありますよ。そう思える出会いもあります。そういう時間が少ないよりも、多い方があなたの人生を豊かなものにしてくれると思います。
基本的には「一人で生きていく」しかないけれど、期間限定であっても其の時其の時の「家族との時間」「友人との時間」も大切にしていきましょう。
質問者からのお礼
こんなにすぐに、しかもロジカルに優しく回答いただけるなんてありがとうございます。
縁は家族だけでもないですね。「今」この時の縁を大切に豊かな気持ちを味わいたいと思います。