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喪失感が怖いです。対処法はありますか?

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友人との付き合いは4〜5年、毎週のように会い、秘密話や深い話ができる友人でした。
そんな友人には恋人がいたのですが、1年近く
ずっと黙っていて、いきなり結婚報告をされました。
よろこびとお祝いもしました。
同時に、相手にとって私は、なんでも話し合える友達と勘違いをしていたので、秘密があったことにショックを受けました。
友人は私に関することで、友人が知らないことがあると怒るくらいだったし…。よく会っていたし…。お互い隠し事なしの、てっきりそういう仲だと勘違いしていました。

友人は、恋人については友人界隈誰にも話していなかったので、気にすることじゃないのに、
いきなりの喪失感と思いあがり勘違いが原因の強いショックで情けなくも一時的にパニック障害にもなりました。

その時の強いショックがとても苦しかったので、それ以来対人関係では期待しすぎない、思いあがりの勘違いをしない、依存しすぎないように気をつけるようにしているのですが、
またショックを受けることが怖いため、会って間もない人や、異様に親切だったり、急に近づいてくる人は疑ってしまい、罪悪感を感じます。

逆に人を遠ざけてしまってるような気もするし、罪悪感と不安が常につきまといます。

朝起きると、また喪失感を味わうかもしれないと、周りの人達が変化していくことで離れていくようで怖くて、希望が持てなくて苦しくなります。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

カン違いという喪失感に失い無し

ご自身でも書いておられるように勘違いだったわけで…。
そうだと思っていたものがそうではなかったという喪失感ですから、友人を失ったわけでもなく、自分の失いの思いなだけです。何も減ってはいません。
失ったような感覚があるだけで、事実はなんも失われていないということをよく見極めてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元 様

ご回答ありがとうございます。
お答えを頂き、思い込みで判断したため、私は苦しんだのだと気付きました。
あるのは事実であり、友人は生きていますし、絶交されてもいません。

思いこみとは私がつくるもので、もともと存在しないものに見えてきました。
もともと存在しないものがなくなっただけであり、私は何も失ってはいなかったのですね。

めげずにこれからも頑張ります。

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