私の気持ちを殺してまで和解するべきなのでしょうか?
先日はご回答ありがとうございました。
また悩みがあるので、聞いていただければと思います。
私は中学生の頃から兄に心理的虐待を受けてきました。大切にしている物を捨てられるまたは売られる、ゴミ・死ね・キモい・生きる価値なしなどの罵詈雑言をはかれたり、私の部屋を荒らしたり、私の部屋のドアを蹴ってきたりです。全て父親がいないときにします。
兄は高校生の頃に鬱病にかかり、進学できなくなりました。それで私が高校・大学に入ると余計酷いことをされるのです。
一度私が家出をして、謝られ家族に諭され乗り気でないまま家に戻りましたが、はっきり言って反省の色なしです。また父親がいないときに私に上のようなことをするのです。働きたくないと、食費と称して父親に月37000円もらっています。
先日ゲームや漫画、外食をたくさんして24万円借金して父親に返済をお願いしていました。父親の前では反省していましたが、事がすぎるとまた元通りに散財しています。
私は夢を叶えるため、そして父親の負担にならないようにバイトを懸命にやって、欲しい物も我慢しているのに本当に許せないです。
父親や親族は仲直りを望んでいますが、私は絶対に許せないです。
過去を水に流すことはできないうえ、前に私のベッドで寝ていたのが本当に気持ち悪くて、生理的に無理です。今さら兄貴面してきますが本当に無理です。
誰にも分かってもらえず、仲直りすればいいと言われるのが本当に嫌なのです。私の気持ちを殺して親族の言う通りにするのが丸く収まっていいのでしょうか、でも本当に許せないのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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押し殺す必要はありませんが注意が必要です
五月雨さんこんにちは。
たとえ家族であっても許せないことなどはあるものです。
その感情を押さえ込もうとしても土台無理な話です。
たとえ一時期は和解できたとしてもいずれまた同じようなことで瞋恚の炎が沸き起こることでしょう。
水面に小石を投げ、その波紋が広がるように、私たちの心もまた、些細なことでもイライラという気持ちは広がってしまうものです。
私たち人間はこの感情をコントロールすること自体大変難しいものなのです。
土地の治安を守る立場であった法然さまのお父様は、武士の夜討ちに遭い最期を迎えられました。
しかし、ご遺言には
「決して犯人を恨んではならない。
私が非業の死を遂げるのは、前世からの種まきの結果であり、因果応報なのだ。
もし、そなたが敵討ちをすれば、相手の子供が、またそなたを敵と狙うだろう。敵討ちが幾世代にも続いていく。愚かなことだ。」
武士ならば当然仇討ちこそ最良の供養とさえ言われる時代、そのような言葉を残されました。
怒りを鎮めなさいとは申し上げません。
しかしながら、五月雨さん自身がその瞋恚の炎に心が支配されるようではいけません。
その炎は自分を苦めるばかりか他の誰かに燃え広がっていきます。
さらにその炎はたちまち五月雨さんの回りを取り囲むことにもなります。
「善因善果悪因悪果」
前世からの因果で、お兄さんもまた苦しみの最中にいるのです。
私たちではどうしようないことはたくさんあります。
ですから私からは、
瞋恚の炎に自身が支配されることなく、お兄さんに関しては残念な事だな。と遠くから静観することもひとつである。
そのように回答させていただきます。
合掌
質問者からのお礼
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。
ご回答ありがとうございます。