接足作礼は信徒はやっちゃいけない?
いつもお世話になっております。
接足作礼は僧侶の作法だから、信者は
やっちゃだめだよ、引かれるからね。
と菩提寺のバカ坊主が言っていたのを
思い出しました。
しばらく行ってないけど。
✳︎
本山の説教会では導師さんと一緒に皆で
やりますし、浄土宗日常勤行式には
三唱礼、私の祈願寺の写経作法でも
三礼五体投地が 組み込まれています。
それを伝えたら
「場所によって違うから!」
とアヤフヤにされました。
✳︎
きのう早速お説教にお上がりしそれを
尋ねると、「五体投地やっても構わない」
との布教師さんからお言葉を頂きました。
✳︎
ちなみに私の菩提寺は、娘の友達が寺の
イベントに遊びに来ても手も合わさない、
さらには特徴的な檀家さんを指差して差別
的な発言をしてクスクス笑っていても親
(坊主や寺庭)が止めないような寺です。
席離れてても丸聞こえだっての。
お釈迦様が自分の子に「ラーフラ」なんて
付けた理由がしみじみわかりました。
✳︎
本当のところどうなんでしょうか。
信者は接足作礼やっちゃだめなんですか?
ご回答頂きたく存じます。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
するのが本式だとは思います
前にブータンの国王さまが新婚旅行でいらっしゃった時に、特ダネでブータンってどんな国特集をしていました。それを見ていたらブータンの一般家庭の旦那さんが朝、自宅のお仏壇に五体投地の三拝をしていました。いやぁ〜感動しましたねぇ。感動して、次にこう思いました。「誰だよ一般家庭で仏壇祀って先祖供養するのは中国発祥だ!とか日本くらいなものだ!とか言い出したのは。日本の方が断然遅れてるじゃないか!いい加減なこと言いやがって。」
私は東南アジアで上座部の修行をして来ましたが、あちらではまず皆で前を向いて仏と法に読経礼拝します。そしたら次にお坊さんが回れ右をして、お坊さんと檀信徒さんと向かい合います。で、お檀家さんがお坊さんに向かって読経礼拝し、仏法僧の三宝に読経礼拝する流れになります。
曹洞宗大本山總持寺でも修行しましたが、その時に屋外のお地蔵さんに五体投地なさっている奥様がいらっしゃりました。その作法が曹洞宗のやり方ではなく海外式だったのと、お坊さんも屋外では立三拝なので地べたに五体投地すべきかという二点で賛否両論の議論が交わされました(本山としてではなく修行僧の間で)。でもお拝は出家者の作法であり檀信徒さんはダメという意見は無かったように思います。
日本の檀信徒さんは五体投地に縁がなさ過ぎなんですよ。
と言いつつ、私もいざ法要の時はお檀家さんのに五体投地ではなくいわゆる合掌礼拝の作法で三度お拝して下さいとお勧めするんですけどね。
上座部の五体投地はずっと膝をついたままやります。でも日本では立ってお拝して立ってお拝してという形でしょう?これはお坊さんでも老僧さんが歳を感じるシーンNo.1なんです。
ましてお参りのご高齢者さま方に「さぁ、五体投地して下さい!」とは言えないわけです。
で、誰かが自分より丁寧な作法をとっていると、真面目な人ほど心苦しくなるのが人情というものです。そこで心が揺らぐとお拝がお拝で無くなる。だから檀信徒さんは皆さま一律で座ったまま三度合掌礼拝をお願いします、ご了承下さい…と、こうなるわけです。
でも個人的なシーンでなさる分にはドンドンなされば善いと思いますよ。それが仏教徒として本来の形でしょう。あくまで私個人の思いではありますが、私は「日本だって在家の檀信徒さんにやらされではなく、心から五体投地してる人がいるんだぞ!」って言わせていただきたいですよ
プライドの煩悩は悩み苦しみの原因
五体投地をされるのが本来望ましいと思います。
そういう意味では(教義上は)、あなたは「正しい」のです。
ただ、浄土宗では還愚(愚かな自分に還る)、つまり自分の愚かさに気づくことが大切だとされます。
この還愚とは、自分の煩悩に気づくことではないでしょうか。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩は、悩み苦しみストレスの原因になります。
たなたは「正しい」のです。
しかし、自分が「正しい」ということにプライドを持ちすぎて、柔軟性がなくなると、悩み苦しみや、怒りの原因になります。
そこのお寺では、そこのお寺のルールがあるでしょう。
本堂で行われる勤行の、全体のバランスというか雰囲気というか、主宰者である住職さん(オーケストラの指揮者)が、五体投地をやらないよう指揮されているなら、少なくとも、みんなそろってお勤めするときはやらない、という柔軟な対応をなさってもよいと思います。
本堂への出入りのときに、個人的に五体投地するのは良いと思いますが。
話は変わりますが、法然上人がある書物を作成するときに、そのお手伝い(書記役)を、本来なら最も適役と思われる優秀な弟子Aに頼まず、別の弟子に頼んだのです。
それはなぜかというと、弟子Aに頼んだら、弟子Aが喜んでうぬぼれてしまう(プライドの煩悩を増強させてしまう)と、法然上人が見抜かれていたからなのだそうです。
浄土宗は、煩悩のある人でも救われる教えだけれど、煩悩を野放しにするよりは、煩悩には敏感に気をつける方が良いのです。
拝読させて頂きました。
五体投地接足作礼なさって頂いて良いと思いますよ。
僧侶でも檀信徒でも三宝に帰依することは何より大事ですからね。
後は回りの方と合わせることも大事だと思います。
共にお勤めなさってお念仏おとなえなさるのですからね。
それと例えば増上寺のように檀信徒の席が下足で椅子の場合はやはりやりづらいと思います。
やはり時と場所を検討してなさってくださいね。ズボンや肘のところが汚れてしまったりするのはちょっと考えもんだと思いますからね。
お一人で仏様にお向き合いなさる時にはゆっくりと心を込めて五体投地接足作礼なさってくださいね。
南無阿弥陀仏 合掌
質問者からのお礼
【大慈 先生】
ご回答ありがとうございます。
最後の一文は私に対するお褒めの言葉と
取っても差し支えありませんでしょうか。
えへへ…。これが本来のあるべき姿、か…
嬉しいです!日本の仏教だって、まだまだ
これからですよっと!!
お布施が安かったら恥ずかしいとか、
後継ぎ作りばかり繁盛して檀家の気持ちを
考えない奴なんか極々一部、
日本の仏教は廃れてなんかないんですよ!
と、言いたいです。私も。
【願誉浄史 先生】
ご回答ありがとうございます。法要の際は
皆で座ったまま合掌礼拝をします。
さすがにそれは合わせています。
イチャモン垂れてられたのは、まさに
「個人的な堂への出入り、仏への礼拝」
の時の五体投地に対してです!
更にそれを見ていて褒めてくれた他の檀家
さんへ、「あれは本来お坊さんの作法なん
ですよ〜」とか抜かしてました。
陰湿でしょ?確かに忙しい時に絡んだり
したのは反省してるけど。それはもう
終わったことだろうに。
【願誉浄史 先生】
ご追伸ありがとうございます。
煩悩にはより敏感に注意…そうですよね。
本願ぼこりが高じて好き勝手やられたら
たまったもんじゃないですからね…。
【kosyo Kuuyo Azuma 先生】
ご回答ありがとうございます。そうそう、
ご本山は椅子だからあそこ。
みんな手だけ上向けてやってるんで、私も
合わせてます。祈願寺は畳&カーペット、
靴はもちろんテイクオフなので普通に
出来ますね!私が言われたのは、
「公私問わず、接足作礼はやるな」です。
そうそう、久々に行きましたよ、お説教!
みなさん覚えててくれて、久しぶり!と
声を掛けて下さいました!
件のおっさんはどこか別のお寺の法要に
行くとかで説教には来ませんでしたwww