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以前妊娠してしまいましたと投稿したものです

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先日妊娠してしまいましたと投稿したものです。
彼と色々話す機会がりました。
彼の気持ちは変わらない状態で自分の思うように事が進まないことや彼の態度などに腹が立ってしまい、嫌な言い方やキツイ口調になってしまい喧嘩をしてしまいます。
今、思うと相手の気持ちを考えたらもっと他の言い回しができたのではないかと考えてしまいます。感情的になってしまうのはことの内容だけに仕方がないのかもしれませんがもっと冷静に話が出来るようになりたいです。
あと彼への執着心を捨てたいのですがどうしたらいいですか?

初期中絶の期間も迫っていますが正直産むか決めきれていません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

家庭的ではない行動は全部危険な道

その男は家庭的ではありません。
あなたのその行為も家庭的ではなかったはずです。
本心で分かっているはずです。
遊びでも妊娠はしてしまうものです。
妊娠は自分が妊娠したいと思ってもできるわけではありません。
まずはどんどん公にすることです。
あなたを妊娠させた、ということを会社内、家庭、相手の家庭、世間にも認知するべきです。
どうして陰ながら生まれてこなければならない命でしょうか。
隠そうとする、無かったことにしようとする。
その時点でお互い誤った道を歩んでいると思うべきです。
別に性行為がいけないわけではありません。
生まれてくるべき命に「いのち性」と自分たちのしたことによる結果に愛情を注げていないだけではないでしょうか。
彼が好きとかいうのであれば、その子供も好きであるはず。
その子を好きになれないならば、あなたも彼が好きなのではなく、遊びや危険な行為が好きだったということでしょう。
全部、今答えは出ている、とみるべきではないでしょうか。
判断を僧侶にゆだねて責任を軽くしようとするべき「こと」ではありません。
よって、まずその男性のその行為を公にするべきであろうと思います。
なぜかと言えば、そのお腹の子供はしゃべれないからです。
しゃべれないその子供に代わって私が申しあげているだけです。
どうしてお父さんはお父さんを逃げちゃうの、か。
お腹に生を誕生させた時点で2人の責任なのです。
彼のことを公にしてどんどんお互いの人間性を高めることです。
そうでないと、その子はあなた方二人のエゴによって黙殺されてしまうからです。
これがまず、その子に代わって「お二人に」読んで頂きたい内容です。必ずその男性にもここでのすべての回答を読ませることです。そうでないとその男は今後も多数の女性に種をまき、堕胎、中絶という名の死を女性にさせる大悪党の道をあゆませるからです。
これを読んだらあなた(父親)は、生命軽視、女性軽視の罪に向き合い、自己愛、自分が愛されることを目的としたいたずらな性行為を今後一切断ち、人間として、父親として、女性に対して女性を守るべき男性として、責任を自覚するべきです。
「人間性の自覚」がお二人の課題なのです。
もっと他の女性と性行為をしたいという無駄な我欲を捨てて、彼女を一生守る、その責任が自分にあるということを自覚するべきです。宗教心とはそこから始まるのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

彼のことは諦めざる得ないでしょう。彼のことは同じ男から見たらとてもじゃないですが良い男とは言えません。恋は盲目と言いますからね。
これからはいかに一人で出産と育児をしていくかを考えましょう。
場合によっては実家に帰ることも検討してください。
親はあなたを怒るでしょう。でも、子供には罪はないのですから、子供の為にそこは受け入れるしかないと思いますよ。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ