何がしたいのか、何ができるのかわからなくて辛いです
ひとりぼっちで寂しくて辛いです。
私には趣味と呼べるほどのものもありませんし、友人も一人もいないです。
できそうになってもネガティブなことばかり言って相手に依存して自分から関係を破壊してしまいます。
恋人もそうして振り回して別れてしまったり、疲れさせて振られたりです。
あまりにも不器用で発達障害かもしれないと思い、ADHDの診断をしましたが、鬱状態と不安感が強く出ているので正しく診断できない。けれどその可能性は高いという結果になりました。特に社交不安が強く、サラリーマンとしてチームで働いていくのが大変なのですが、診断も曖昧で障害とまで断定されていないので、周囲に言えずに変な人だと思われていると思います。本当に単に変な奴なのかもしれませんが。産休育休で長期間休んでいる人以外は殆どの同期入社が既に中間管理職です。
私にはそんな責任負えないなと思いますし、すぐに不安になって思考停止してしまうので、誰も私になど責任ある仕事など任せたくないと思います。
規則正しく生活することがとりわけ苦手なので、仮に結婚できたとしても家庭を支えていく素敵なお母さんにもきっとなれないと思います。
こんな私でも生きていて、お給料をもらっていてありがたいことだとは思うのです。
ですがこんな自分が嫌で嫌で、何とか変わりたいです。でもどうやって? 何をどうしたいの? 私には普通の人と同じだけの努力では何も成し遂げられないのに、何から手をつければいい?と自問してみても何も出てこず。仕事でも家庭生活でもなんだっていいから何かを頑張って、誰かに必要とされて、これでいいと思って生きていきたいのに、それができなくて辛いです。頑張りたいことも見つけられず、何もかもうまくいかないことに落ち込んでいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「頑張る」の弊害
まり様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
熊谷真士氏が下記の論考で「頑張る」の弊害についてうまく述べられておられます。
ドヤ顔で言おう。「学生時代に頑張ったことは何もない」と
https://www.onecareer.jp/articles/782
「“頑張る”というのは、ある種、無条件で報酬を得られる最も簡易な手段として脳の中にインプットされるわけです。頑張ることと、褒められること。この2つが極めて強い相関関係にあると、脳が無意識に認識しているのです。すると人は、頑張らなくても良い環境に放り込まれても、頑張ろうとします。頑張ることは報酬に繋がる筈だと本能的に感じているからです。むしろ、何かを頑張っていないと不安にすらなってしまいます。」・・「これは“頑張る”というプロセスを褒められ続けた結果、頑張ること自体がいつからか目的化してしまった状態です。本来は目的があって、その達成の手段として頑張るが存在しているはずですが、“頑張る”ことを報酬と強く結びつけたことで、このような歪な事態に陥ってしまいます。」・・
「頑張る」にしても、既に「(とにかく何かに)頑張る」こと自体が目的となってしまっている可能性があります。
本当になりたい自分、したいことは何かをもう一度足下から見つめ直すことが必要であるのかもしれません。
とにかく、あまり後ろ向きとならずに、何でも実際に挑戦してみないと分からないこともあります。
また、何でもそうですが、結果を求めるならば、善い因縁(原因と条件)を調えていかなければ、結果は望めないものになってしまいます。
種も蒔かずに悶々としているよりか、種を蒔き、水と養分をあげて、良い花を咲かせたいものでございます。
千里の道も一歩から。それも、ただ歩くこと、進むことに頑張るのではなく、しっかりと目的を持って進めて参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
頑張らなくても自分には価値があると思って生きていかなかければと思います。
なかなか気持ちを変えるのは難しく、ひどい落ち込みで職場や友人にネガティブな感情を隠しきれないことが多々ありますが、少し症状が良くなったら色々挑戦してみたいと思います。またきっとその度につらいと思うことがあるかも知れませんが、そういう自分も認めて生きていけるようになりたいと思います。