この時代に子どもを産むことの葛藤
最近厭世的な若者が増えていて、ネットを見ていると「こんな現代の日本で子どもを産むのは最悪のエゴ、愚行。産まれなければ苦しみはない」という反出生主義の意見がよく出ています。
私は結婚して半年ほどで現在妊婦です。しかし喜びより今後の不安の方がずっと大きいです。好きな人と結婚した流れで自然に子どもをつくってしまいましたが、もともとどちらかというと上記のような意見も理解できてしまう性格です。これまで自堕落に気ままに生きてきて精神年齢も低く、自分が親になることが間違いかもしれない。子どもに将来「なんで産んだんだ、死にたい」と言われたらと思うと怖いです。
以前出席した仏教の法事でも、人間は愚かで存在自体が罪だというようなお説法を聞いたことがあります。
お坊さまは、子孫を残す事についてどうお考えでしょうか。子を産もうとしている若者、産むまいとしている若者に、どのようなお言葉をかけていただけますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「存在自体が〇〇」はない。
こんにちは。すでに東師がお答えのように、最終的には個人の問題なのだろうと思います。私も過去、お尋ねのような事を考えていた時期もありました。「お釈迦様は、自分の息子にラーフラ(障がい)という名前をつけた」という話もあります(家族がいると、修行の妨げになる、気になってしまう)。
私が気になるのは、その和尚さんの話、「人間は存在自体が悪だ」というのは、些か解釈の問題を間違えているのではないかということです。
仏教は、「全て物事は縁によって起きる」としています。つまり、存在していること単独では、良いも悪いもない。何かの縁があって、つまり状況や条件があって物事が起きる、ということです。周りとの関係によって、というのはつまり「ゴミを捨てれば悪いことをしている、ゴミを拾えば良いことをしている」訳で、「私がいる」こと自体に善悪はないのです。
でも人間は、自らの欲望や煩悩によって「悪いこと」をしがちだ。それを仰っていたのではないかと思います。お坊さんが「自分の存在自体が悪」と言ったのなら、「そのあなたはなぜ生きているの」と問うてよい筈です。きっとその後、何かが続いていたと思いますよ。「だから、せめて自分の気付いた時は良い事をしましょうよ」とか。
そう。この「気付いた時には良いことをしましょうよ」こそ、坊さんの話すべきことと思いますよ。「今までグータラしていた」としても、「気づいたからには少しでもいい事、あるべき事をしよう」、人間にできるのはその程度だと思います。
お子さんが生まれれば、思い通りにならない事も多いでしょう。けれど、それにめげずに、「気付いた時にはせめて何か良いことを」。それで良いと思います。
そうですね
拝読させて頂きました。
なるほど、そのようなお考えもあるかもしれません。
若い方々がそう思うのはこの世や社会の世相がそうした方向に向けているように感じます。
戦時中ものが無い時代であっても子供達は沢山生まれて仲良く成長していきました。
それが飽食の時代となって物質的に豊かになっても子供を作らない増やさないという風潮になってしまったのは私達に責任があると思います。
ただ人は自分だけで生きているわけではありませんし、大切に頂いた命ももとに今を生かされています。そしてそのご縁の中で私達はつながりを持って自分の存在価値も分かるのです。
自分とは何者かを問うことは大切な事ですし、子供に恵まれて育てていく事に己のアイデンティティを見出す事でもあると思います。
まして子供とのつながりはどのような方でもかけがえのないものです。そして生きる喜びを与えてくれるものです。
いかかでしょうか?
それぞれお考えはあるとは思いますが、じっくりと考えてみて自分にとって本当に大切なことを見つめてみて下さいね。