食べ物を粗末にするのはよくないのに。
WFP(国連食料支援機関)によると2014年の時点で日本の食品ロスが年間約632万トンに対し、世界の食糧援助が約320万トンだそうです。
インスタ映えだか動画再生数狙いだか知りませんがファミレスで食べもしないメニューを全品頼んでほとんど手を付けないままSNSだか動画投稿サイトだかに投稿する阿呆も居るそうです。
と偉そうなことを書きましたが私も安売りに釣られ食料品を不必要なまでに買い込み結局食べないまま処分、ということをよくやっています。
特にある程度保存が利く食品でそれをやらかしています。
確信犯的にやっている者は当然として私のようについやってしまうという者も食べ物を粗末にしていると別に仏罰ではなくともいずれ必ずしっぺ返しが来ることになると思います。
食料品は食塩を除けばすべて生命由来のものです。食べ物を粗末にするということは命を粗末に扱っていることに他なりません。飢えているわけでもないのになぜこういうことをやってしまうのか。
この”貪る”気持ちはどうすれば抑えられるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
頂いた命
拝読させて頂きました。
あなたのおっしゃること誠にその通りです。
世界では飢えに苦しむ方々が沢山いらっしゃるにもかかわらず飽食を貪るものには必ずその報いが来るでしょう。
貪ることの反対は感謝する気持ちかと思います。
あなたのおっしゃる通り塩以外は皆生き物の命を頂いている事に他なりませんからね。
それぞれにこの世に生を受けてきたのは私達が食べる為ではありません。
それぞれの生き物はそれぞれに生きるご縁を頂いて生を受けてきたのです。
たまたま巡り合わせで私達がその生を頂くことになったのですから、頂く生き物の命に感謝して頂くことは本当に大切です。
どうかそのように命を頂いて私達は生かされている事をしっかりと考えて感謝なさりこれからの人生を生きて下さいね。
そしてあなたの人生を有効に価値あるものとなさって下さいね。
質問者からのお礼
一向寺 Kousyo Kuuyo Azuma 様。御回答いただきありがとうございます。
食事の前の「いただきます」は「あなたの命を私の命にさせていただきます」の意であると聞いたことがあります。こういう感謝の気持ちがあればおいそれと食べ物を粗末に扱うと言うことはないと思うのですが。
「いただきます」合掌して実践しています。それでも食べ物を粗末にしているということは私の「いただきます」が形だけのもので魂が入ってないことの証左であるのかもしれません。
すぐに忘れちゃうかもしれませんが食材に、生産者様に感謝することをもう一度よく考えてみようと思います。