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生きることが面倒くさいです回答受付中

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タイトルの通り私は生きることが面倒くさいと感じています。
これから先社会に馴染めない自分の世話を一生し続けることが苦痛だからです。社会に溶け込みたいのなら、受け入れられるような自分に変わるべきで、それでも自分の持つ発達障害が相手に負担を強いて自己中心的に振舞い、一方でひとりで乗り越えていこうにもすぐに限界が見えてしまいます。こんな甘い人間の魂はあの世でなら受け入れてくれるのでしょうか?

2025年7月16日 18:44

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

未来の予測を重んじ過ぎてはならない。

拝読させていただきました。

「生きることが面倒」と思えるのは、すべて"これからの未来の予測"となりますよね。
"今までの自分を振り返る(過去)"と"これから起きる人生(未来)"はどこにも無いのです。
ただあるのは"今(現在)"のみです。
仏教では、「①過去、②現在、③未来」の三つを"三世(さんぜ)"と称します。
かの仏教の開祖である釈迦は真理をこのように説きます。
「過去は追うな。未来を願うな。ただ今を切に生きよ。」
過去は過ぎ去ったものだから捨てなさいということ、未来はまだやって来てないので考えてはならない。わたしたちは今の連続を生きているだけです。
そのために日本の人びとは玄関に入るとき「ただいま」と言います。
それは「只、今を生きる」ということです。
一日一日の積み重ねが人生となります。
連続の連続で生きているのです。その生きる連続には「原因の因+結果の果=因果」です。この因果の連続を生きることを"因果律"とも称します。
清水さんは少し過去の自分を重く生きており、今を飛ばして過去の自分を未来に馳せています。今である現在を飛ばしてはならないのです。
仏教では坐禅や瞑想を行います。
自己を見つめることで、今必要なことも見えてくるものです。
過去は過ぎ去ったので、その過去は自分ではないのです。傷ついた心などが完治していないなど不安が今に襲来してきています。
そして、発達障害にも無数に種類はありますが、医師も十人十色です。
医師免許という資格を持っているからと言って診断されたからといってそれを信じることも違います。
普遍的な普通という基準から外れると人は全員発達障害となります。わたしも自身でそう考えると発達障害のひとりですよ。
僧侶もまた同じ思想はもっておらず、十人十色です。
自分に打ち勝つ「克己心」を持つことを目標にしてみてください。そうして行くと他人(医師や僧侶など含めて)、「この人たちは、このような判断をするのだ」と客観的に物ごとを判断できるように心に余裕が現れていきます。
未来はまだやってきていないので、明日を知る人はこの世に誰ひとりとて居ません。
知ることができるのは予測くらいのものです。
地震や事故や病気など、すべて未来を考えると不安だらけとなりますので、敢えて不安を前借りしてまで生きることは、今の現在の心を重荷を背負って生きることに疲弊させていきます。

2025年7月17日 0:34
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有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは正しい道しるべであります。 選択肢が多い世の中になり、何が正解であるのか?すべて正解であります。しかし、人は損得で判断するのでなく、正しいか正しくないかで判断する人間であることを説いていきます。 ※電話相談は受け付けませんので、あらかじめご了承ください。

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