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欲がない人間はどうすれば...

回答数回答 4
有り難し有り難し 87

20代の男です。
私はまだ若いのですが、欲というものがあまりありません。

同世代の周りをみると、彼女がほしい!車が欲しい!お金がほしい!と皆何らかの欲求をもって生活をしているように見えて、すごく羨ましく思います。

そこで質問ですが、欲求てものはどうしたら湧いてきますか?また、やはり生活上は必要なものなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

天上界

親御さんの育て方が上手だったのでしょう。
満たされがあることは大変良いことですね。
四六時中、欲が無きゃいけないわけではありませんから、無ければないでそれにこしたことはありません。
ですが、それも天上界の一種で、まだ悟りの状態ではありません。
たとえば
あはは いひひ うふふ えへへ おほほ …と、
笑いかたにもいろいろあって、微妙な差異がありますように、
沈黙、幸せや安らぎにもいろんな種類があるのです。
仏教では、涅槃という安らぎを説きます。
同じ沈黙でも、孤独でもなく、寂しさも無く、わびしさもない、安らかな静寂です。
そういう❝もとめ❞を持ってみるのも良いと思います。
そこに本当の満たされがあれば、それであなたにとっては十分でしょう。
そこに一抹の疑念や疑いがあれば、そこからさらに上質を求めることです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

本当に生きることを求めているのだと思います。

ニコぽんさん

同世代の人が欲しているものを
自分が欲していないと
羨ましくなってしまうかもしれませんね。

ただ同世代の多くの人も
本当に欲しているものが分からないから

“彼女がほしい!車が欲しい!お金がほしい!”
と言っているのかも知れませんよ。

“皆何らかの欲求をもって生活をしているように見えて、すごく羨ましく思います。”

とおっしゃっているように

この羨ましいという思いは
欲求と同時に
本当に生きることを求めているのだと思います。
自分の心の声に耳を傾け続けてみて下さい。

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有り難し
おきもち

欲からは逃げられません。

 欲というものは欲しがるものばかりではありません。食欲、眠欲、生きているのも欲ですよ。衣食住があることも欲の1つです。それらの感謝の気持ちを忘れて、欲を否定的に見るのはどうかと思います。
 クルマ、コイビト、おカネが欲しい気持ちより、なぜ必要か?を考えるべきではないでしょうか?良く考えて、必要なければ買わなくていいと思います。よく考えるとは3回は考えることをお勧めします。
 まずは思考をめぐらすことから始めては如何でしょうか?貴方が言う欲を持つ、持たないは別としてどう生きたいかをまずは考えてください。ミニマリストを参考にするのも然り、参禅修行を体験してみるのも然り、そこから自分の生き方を見出してください。決して、思考停止にはならないようにしてください。

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有り難し
おきもち

目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

欲がないのか、興味の対象が違うだけなのか

日本では、若者の車離れが不景気につながるから話題になったりします。
都会ではマイカーがなくても困らないし、駐車場代が高くつくからマイカーを持つ人は田舎より少なくなりますよね。
さらに、派遣社員や非正規労働者など、お金に余裕がない若者が多いうえに、小さいときから不景気の時代に育ってるから節約志向も身に付いている。
何が言いたいかというと、車を買って乗るという経験をしてみれば興味もわくが、経験が乏しいから興味のセンサーにふたをしているだけなのではないか、ということです。
あなたも、車や恋愛に興味はないが、昔の若者とは違う何か別のもので、欲や興味のあるもの、時間を費やしているものはあるのでは?
また、実際に車や恋愛の経験にめぐりあえば、急激に興味が湧いてくる可能性はあるでしょう。
まぁ、日本の経済とか少子化対策とかを考えたら、恋愛し、結婚し、車を買ってもらったほうが良いのかもしれませんが、
経済は人間を幸せにする道具にすぎないので、
恋愛とか車とかのために思い悩むような一直線すぎる欲で不幸になるくらいなら、欲がないほうがマシかも。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

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