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欲がない人間はどうすれば...

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有り難し有り難し 87

20代の男です。
私はまだ若いのですが、欲というものがあまりありません。

同世代の周りをみると、彼女がほしい!車が欲しい!お金がほしい!と皆何らかの欲求をもって生活をしているように見えて、すごく羨ましく思います。

そこで質問ですが、欲求てものはどうしたら湧いてきますか?また、やはり生活上は必要なものなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

天上界

親御さんの育て方が上手だったのでしょう。
満たされがあることは大変良いことですね。
四六時中、欲が無きゃいけないわけではありませんから、無ければないでそれにこしたことはありません。
ですが、それも天上界の一種で、まだ悟りの状態ではありません。
たとえば
あはは いひひ うふふ えへへ おほほ …と、
笑いかたにもいろいろあって、微妙な差異がありますように、
沈黙、幸せや安らぎにもいろんな種類があるのです。
仏教では、涅槃という安らぎを説きます。
同じ沈黙でも、孤独でもなく、寂しさも無く、わびしさもない、安らかな静寂です。
そういう❝もとめ❞を持ってみるのも良いと思います。
そこに本当の満たされがあれば、それであなたにとっては十分でしょう。
そこに一抹の疑念や疑いがあれば、そこからさらに上質を求めることです。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...
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本当に生きることを求めているのだと思います。

ニコぽんさん

同世代の人が欲しているものを
自分が欲していないと
羨ましくなってしまうかもしれませんね。

ただ同世代の多くの人も
本当に欲しているものが分からないから

“彼女がほしい!車が欲しい!お金がほしい!”
と言っているのかも知れませんよ。

“皆何らかの欲求をもって生活をしているように見えて、すごく羨ましく思います。”

とおっしゃっているように

この羨ましいという思いは
欲求と同時に
本当に生きることを求めているのだと思います。
自分の心の声に耳を傾け続けてみて下さい。

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おきもち


欲からは逃げられません。

 欲というものは欲しがるものばかりではありません。食欲、眠欲、生きているのも欲ですよ。衣食住があることも欲の1つです。それらの感謝の気持ちを忘れて、欲を否定的に見るのはどうかと思います。
 クルマ、コイビト、おカネが欲しい気持ちより、なぜ必要か?を考えるべきではないでしょうか?良く考えて、必要なければ買わなくていいと思います。よく考えるとは3回は考えることをお勧めします。
 まずは思考をめぐらすことから始めては如何でしょうか?貴方が言う欲を持つ、持たないは別としてどう生きたいかをまずは考えてください。ミニマリストを参考にするのも然り、参禅修行を体験してみるのも然り、そこから自分の生き方を見出してください。決して、思考停止にはならないようにしてください。

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おきもち


ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
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欲がないのか、興味の対象が違うだけなのか

日本では、若者の車離れが不景気につながるから話題になったりします。
都会ではマイカーがなくても困らないし、駐車場代が高くつくからマイカーを持つ人は田舎より少なくなりますよね。
さらに、派遣社員や非正規労働者など、お金に余裕がない若者が多いうえに、小さいときから不景気の時代に育ってるから節約志向も身に付いている。
何が言いたいかというと、車を買って乗るという経験をしてみれば興味もわくが、経験が乏しいから興味のセンサーにふたをしているだけなのではないか、ということです。
あなたも、車や恋愛に興味はないが、昔の若者とは違う何か別のもので、欲や興味のあるもの、時間を費やしているものはあるのでは?
また、実際に車や恋愛の経験にめぐりあえば、急激に興味が湧いてくる可能性はあるでしょう。
まぁ、日本の経済とか少子化対策とかを考えたら、恋愛し、結婚し、車を買ってもらったほうが良いのかもしれませんが、
経済は人間を幸せにする道具にすぎないので、
恋愛とか車とかのために思い悩むような一直線すぎる欲で不幸になるくらいなら、欲がないほうがマシかも。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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「欲望・欲を抑える」問答一覧

何かを好きになることは、いけないこと?

 僕は絵を描くのが好きなのですが、周りの絵を描く人を見ていると、誰にも見てもらえなくて絵を描くのを止めたり、上手い人に嫉妬して絵を描くのが嫌いになったりしてる人が多いのです。  そういう人たちを見ていると、「他人から見てもらえることや、上手くなることに執着してそれを追い求めても、結局は満たされずに絵が嫌いになってしまう。絵をずっと続けていくには、それらに囚われず、絵そのものを好きになることが大切だ。」と思うようになりました。  そうして色々調べている内に、初期仏教の「感覚に執着しない」という教えに辿り着き、それが様々な教えの中で最も根源的だと思うようになりました。  「○○が欲しい」「○○が快い」と思って追い求めて行っても、それが満たされなかった時に結局苦しみを覚えてしまう。苦しみを覚えないためには、感覚に心を動かされず、静穏な心で物事をありのままに受容すればいいのだということです。  実際その教えを実践していって、絵以外の様々な物事にも影響が出てくるようになりました。今までは自分のマイナス感情に振り回され自己嫌悪に浸っていたのですが、「これはこういう情動なのだ」とありのままに観察し、執着しないことでそれらの悪循環から抜け出せたのです。  しかし、よくよく考えてみれば、「絵を描くのが好きだ」というのも感覚であり、執着です。「これは自分の人生でやりたいことだ」と言ってしまえば、それが果たせなかった時の苦しみの源になります。もしそうだとするならば、絵を描くことを好み、苦しみなくそれを楽しみたいという欲求にも囚われてはいけないのではないでしょうか。  

有り難し有り難し 6
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密教における欲、怒りについて。

昔、私が学生だった頃、大学でインド哲学を学んだ人から、こう教えられました。「初期仏教では人に属する欲は全て良くないものと全否定されるが、時代が経てだんだんと欲は肯定されていって、仏教の最終段階である密教では「セックスは菩薩の境地だ!」と教えられるのですよ。そうやって密教では性も含めあらゆる欲が全肯定されるに至るのです!」と。 また同時に、弘法大師を信奉するある僧侶の方が「日本人は怒れないないからダメなんだ!」と仰り、その言葉を持って、先の人からは「(人に対して社会に対して)もっと怒れ!怒れ!」と、私は言われ続けました。 私は{密教では怒りの感情も人間に属する<聖なる属性>として肯定されるのか。。}と思い、それからというもの、私は何かと「怒り」を持って親や世間の人たちに接し、それが故に大きな軋轢を家族や人々との間に作ってきました。 今はそのようなことすべてを後悔しています。 私も老齢を迎えつつある今、お釈迦様の言葉や弘法大師の「四恩十善の教え」を知るなかで、実際のところ、密教では「欲」や「怒り」はどのように扱われるのだろうという疑問が頭から離れません。 彼らが言ったように、欲や怒りは密教では「善きもの」なのでしょうか? そのように肯定されるものなのでしょうか。 お釈迦様の教と密教はそれほど違うものなのでしょうか。 どうぞお教下さい。

有り難し有り難し 43
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新しい刺激を得たい欲求との付き合い方

ストレスが溜まると新しい刺激が欲しくなります。(週1ぐらい) 同じ毎日に嫌気が刺し新しい楽しいことがないかと考えます。 しかし、それのせいで先日夫と喧嘩をしました。 少し前から私はこの人生を鮮やかにするには新しいことを習慣化し自分の特技を作ろうと語学の勉強をしていました。 勉強をしていくうちにペラペラになりたいと思い、なった方々を調べるとネイティブの方と喋るに尽きるとのことでした。 私は留学はできませんしお金もあまりないので、海外の方と交流できるコミュニケーションアプリの利用を考えました。もちろん女性とだけ関わるつもりでした。 しかし、夫は元々SNSを酷く嫌がるタイプの人間なのでやはりダメでした。 自分からすれば刺激のない日々の対策を自ら見つけ、コツコツ頑張って来たので腹が立ちました。何も男の人と関わるとは言ってないからです。 とはいえ、夫がそう言うだろうとはわかっていました。自分は夫の方が大事なのでそこは自分が諦めました。 しかしながら、じゃあその代わりになる物があるかと言うとそうじゃないです。 今まで散歩や、新しい料理、掃除、読書などをやってましたがどれも物足りなかったです。 また何かを見つけない限り自分は生きてるのが苦痛になると思います。 このストレスを得ると新しい刺激を得たい欲求とどう付き合うのが良いのでしょうか。

有り難し有り難し 7
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「欲」との向き合い方が分かりません。

いつもお世話になっています。 タイトルの通り、欲とどう付き合うべきなのか、より正確には「無欲」とどう対峙すれば良いのか悩んでいます。 私は基本的に、様々な物・事に対する欲や執着が薄い傾向にあります。 物欲はもちろん、金銭や名誉への執着も大してなく、娯楽や趣味も没頭するほど興味の強いものが特にありません。 人間である以上、欲が皆無という事は有り得ませんし、あくまで「欲が薄い」のだろうと自身では思っていますが、実際それを周囲から指摘される事がたびたびあります。 例えば物欲ですが、生活必需品(消耗品)以外の物について「どうしても欲しくて堪らない」と感じる事がほとんどなく、自ら買いに出かけるような事はまずありません。 流行に疎く、新しい物・珍しい物への関心も薄いです。 毎年誕生日にプレゼント交換をする友人がいますが、これと言って欲しい物も思いつかず「じゃあこれ適当に使って」と仕方なく現金でもらった経験さえあります。 しかし、そのお金に関しても「欲しい物、したい事があって貯めている」わけではなく、「使う予定がなく必然的に貯金に回っている」状態です。 他にも、人と会ったり遊んだりする際、行きたい場所、したい事がパッと浮かばず、基本的にプランは相手任せです。 (表現が適切か定かでありませんが) 「意見がないに等しい」ので、仮にどこで何をする事になっても、それを苦に感じたり嫌に思ったりは特にありません。 ですが周りからは「それで本当に楽しめてるの?」と逆に疑われる事があります。 また、私はどちらかと言うと「〜したい」より「〜したくない」という欲が強いです。 自身の経験上(※詳細は過去の質問をご参照願います)、常に思考の根本に「周りを巻き込みたくない」考えがあり、結果的に「相手に合わせる」、より正確には「相手任せ」という展開が大半です。 自分自身に関しても、「今以下にはなりたくない」、強いて肯定形にするなら「せめて現状維持でいたい」です。 欲の無さは同時に自信や向上心の無さだと聞きますが、やはり欲が薄いのは総じて良くないのでしょうか。 欲の薄い自分はまともに自己主張すらできない弱い人間という事なのでしょうか。 欲が薄い事は「恥ずべき」事、「改めるべき」事に当たりますか。そうである場合、それを直していくためにどのような事を心がけていくべきか教えて頂きたいです。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

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