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生きる価値がない人間です

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私は生まれてこの方、「この世に存在してはいけない」と強く思って生きてきました。本当につらかったし、なんとか存在するために色々と努力もしてきたつもりです。しかし、どれだけ努力しても一つでも自分が役立たずだと思うと、何故自分はここにいるのだ?と自分自身を問い詰めます。どれだけ頑張っても私は些細なことで人に損害を与えます。

ひどい父親に育てられました。父親は私に常に「俺のどんな役に立つのだ」と言われ続けて育ちました。なぜ、父親は子供を作ったのだと深く恨みます。父親も親に愛されなかったのかもしれませんが。こんなことが分かっているのであれば、父親には少なくとも妻帯してほしくありませんでした。

本当は人に愛されたいです。楽に生きたい。ですが、自分はここにいてはいけないと強く思います。おまえは何故この世にいる、おまえはどれだけ人の役に立つのだ?と思うと、なぜこの年まで行き続けたのだろうか?と思います。

私は生きる価値がないという大きな十字架を跳ね返す理由が自分で見つけられません。今のままではどれだけ努力して外面の能力を身につけてもつらいだけです。

生きたいのに生きるのが苦しい。この世からいなくなること自体が私に残された最大の貢献のような気がします。これが愛情飢餓だということも勉強して分かるようになってきました。こんな私に仏様はどのようなお言葉をお掛けになりますか?これも煩悩でしょうか?

私は自分を愛せません。もっと楽に自分を殺せたらどれだけ楽だろう。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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無我のすすめ

かないさま、こんにちは。

かないさまのおっしゃっていることは、かないさまにかぎらず、煩悩がある人であれば、程度の差はあれ、誰しもそう感じていることであり、核心的な内容を含んでいるように思えます。そういう意味では、このような相談をしていただけることは、私としてはたいへんありがたいです。考えさせられるからです。

といいますのも、世間では常識となっていますが、はじめから、「自分というものがある!」、と考え、そのことを考え出すと、その(自分という存在の)やり場に困りますよね。

なぜ、自分はここのいるのだろう、人からどう思われているのだろう、自分には価値があるのだろうか、価値のある人間として認められたい、もっと目立ちたい…と考え出しては、「自己」というものを必死に守り、時には守り切れずに腹を立てたり傷ついてしまったり、自分のものにしたいと思えばほかの人と争い…こうして、「自己」というものに振り回されて、その一生を終えてしまう人が、少なくないのです。

そこで仏さまは、「自分である、自分のものである、自分の本質はこれである、と、思うことなかれ」という、「無我」の教えを説き、そして、仏さま自身も、無我の実践をしました。

人が大自然をみてなごむのも、そこに無我をみるからなのでしょう。人が花を摘もうとしたとき、恐れをなして逃げる花は、いませんよね。煮るなり焼くなり、好きにせよ、といったところでしょう。そして、ずっとそこにいてください、と願って水をくれる人には、花はきれいに咲き続けるでしょう。また、季節が変わって枯れてしまうときは、その枯れる姿によって、その人に無常の理を示してくれるでしょう。なので、無我であるということは、人にやさしいということでもありますね。

私たちも同じです。「自分」というものを考えれば、その意味を問うことになってしまうので、いっそ無我になって、みんなの願いをその身に受ける如意宝珠のような気持ちで、人々の願いに応えていけるなら、そのことによって!かないさまは、自身の十字架を捨て、苦しみもなくなっていけるのではないかと思います。

ところで、かないさまのお父さまも、本当は、苦しくて仕方がなくて、誰かに助けを求めていたのかもしれないですね。

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菩薩になりたいです。 仏教は、ほんとうにすばらしい教えだと思います。...
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スーパー勘違い。

あなたは、ひとりで大きくなったつもりなんですか?

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偏執見を離れる

かない様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生きる意味や価値、理由、評価などは、実体として有るものではありません。

かと言っても、全く無いというわけでもありません。

「全ては、縁起し空である」として、あらゆる(現れて認識できる)モノ・コトというものは、そのもの自体で独立自存にて存在している何かがあるわけではなく、他に縁って、つまり、他に依存して成り立っているものであり、最も簡単には、因縁(原因と条件)に依ってあり得ているものとなります。

生きる意味や価値、理由、評価も、良い因縁によれば、良い意味や価値、理由、評価となり、悪い因縁によれば、悪いものとなる。また、それも、人それぞれの捉え方次第でも変わるようなものとなります。

例えば、拙生と貴方様で同じ因縁を共有していたとしても、拙生にとっては、良い意味合いで捉えても、貴方様は悪い意味合いで捉えているということもあり得るものとなります。

いずれにせよ、少し、虚無主義・悲観主義的に寄り過ぎておられるのではないだろうかと存じます。

生きる意味や価値、理由、評価は、完全に無いとしての断見という偏執見に陥られているように思われます。

その逆で、実体的に有るとすると、常見という偏執見となります。

もう少し自分を肯定的に、ポジティブに捉えることも必要であるかもしれません。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

>転落院様
早速のお言葉をありがとうございます。頂いたお言葉を精一杯感じ取ってみます。

>Shunkai 様
 お礼が遅くなりました。頂いたお言葉をなんとか理解したいと思います。ありがとうございます。

>川口英俊 様
 お礼が遅くなりました。ありがとうございます。ポジティブに生きられないというのが私自身なのですが、それでもそんな私がポジティブに生きると言うことはどういうことかを考えたいと思います。

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