自分の境遇
私は不治の病、双極性障害(躁鬱病)を患っています。
今は母と兄弟と暮らしています。
街やテレビの中ではライトアップされてますね。
楽しめる普通の人たちがうらやましいです。
この病気になり友人知人がいなくなりました。
みんなは普通に結婚して普通に子どもがいてマイホームを持ちいい暮らしをしています。
私は独身で寝込む病気なので不安だらけの毎日。
今できることはジグソーパズルと軽い家事くらいです。
ただ時間つぶしのために生きています。
みんなは仕事をしたり子育てをしているのにジグソーパズルとは・・・
生産的な日々を送っている人たちがうらやましいです。
そういう人たちのようにはなれませんが、考え方などで生きやすくなるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
不治の病はない という 方向で。
病気というものは病気であっても、その病症を気にしていない時は病気であっても病気に屈していない状態があるので、病気であっても病気ではないということを知ってください。
人間は誰でもいつか死ぬ。
つまり人間は生まれてきた以上必ず死ぬという死の病にかかっているのです。
それでも、みなケロリンと忘れて生活している。
私だってお寺の建築の借金がウンゼンマンありますが、忘れている時は借金といってもあってなきがごとし。
そういう姿勢で過ごしてみてください。
ウツをウツと名づけて喜ぶは精神科医くらいなものです。
私は仮にウツと名づけられても決して屈しません。
心の病というものは自分自身も時として加担者となってしまうことがあります。
自分が自分を病であるというと大体はネガティブなイメージがつくものです。
木はキノコやコケと共存しています。
木にとってコケは病でしょうか。
私は虫歯や腹痛、鼻炎、ひざの痛み、尾てい骨損傷、風邪、借金、死…、様々なコケやキノコと共存しながらも、ここで人を助けたり笑わしたりしています。
ということはあなたにもそれがデキるということです。
自分が自分の病のネガティブイメージに屈しなくなった時、私やあなたに鬱だと断定したり、薬を売りつける医者は「チッ!」と舌打ちするでしょう。
健康な人でさえ、鬱にさせられてしまうこの時代。
別に精神科医が悪いとは申し上げませんが、それでも病のネガティブな気質に騙されないでいてもらいたいと思います。(*´ω`*)
治らん病でも、病を忘れている時にゃ、体は病であっても心は病まず。
心が病になったとしても、出てくる思いを拾い上げずに処すときは、たとえ黒い思いでも持ち主が拾わなきゃ、誰も拾わず流れゆくのみ。
質問者からのお礼
申しわけございません。
お礼が遅くなりました。
お忙しい中、ありがとうございました。
病気にこだわり過ぎている自分に気づきました。
気づきは大事ですよね。
本当にありがとうございました。