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良い思慮のコツ

回答数回答 3
有り難し有り難し 39

ひどく感情が絡むことになると冷静に考えられず、結果解決策が出せなくなります。

感情を鎮めて冷静に物事を考えるコツというものはないでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

事前設定こそ大事

怒りを無くそうとか、感情を抑えようという事ではなく、事前の相手に対する設定をスマホ、携帯の設定のようにあらかじめ仏のマナーモードにしておくのです。
それは具体的に
期待しない
求めない
自分のルールを押し付けないことを私は説いています。
相手は、こちらとは無関係な人物です。
育った畑も考え方もスタンスも異なります。
世界中の誰もが皆あなたとは違うのです。違っていいのです。
そのように考えてみてください。
これはお釈迦様の教え諸法無我を現実の世界で当てはめることにもつながります。
相手は、こちらの願いや求めとはまるで無関係な、こちらの自我やマイルールがまるで通用しない世界の人であもあるのです。
以前百円ショップで爆買いしたのですが持ち物が多すぎると、狭い所などで必ずぶつかります。それは自分の持ち物が多いからです。持ち物を無くしてみましょう。持ち物がなくなるとぶつかるものが無くなります。何も持っていない分、何でもつかめます。
このアドバイスが受けとめられないとすれば、あなたがすでに何かを持っていると言えましょう。採用しなくても結構ですが、自己点検なさってください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

思いを最優先しない生き方

もしかして、あなたは誰かにこう言われたから私はイライラしているとか考えていませんか。
そうして誰かのせいにする癖が付いていると、冷静でいられず感情的になります。
全ては、あなたの中の考えによりおきているのです。

誰かから「このばかちんが!」と言われたとしても、それだけです。すべてはその声が耳に届いた時点で終わっています。跡形もなく存在しなくなっています。
そこに「こいつめ!」「年下のくせに!」「お前に言われる筋合いはない」などと頭の中で瞬時に考えてしまっているのです。

その考えをやめ「ばかチンが!」でやめてください。そこで全てを終わりにするのです。あなたの体は腹を立てません、耳も目も一切腹を立てません。すべては頭の中で行われているだけのものです。そのように生活することが大切です。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

感情を扱う

イヤいい質問です。こういう事を若い方が考えているのは嬉しいです。
感情で相手を巻き込み、あたふたしている間に丸め込もう、という戦術の方が、稀にいらっしゃますね。
実に上手に感情を刺激してきます。もちろん、感情の赴くままに行動して良いタイミングだってある訳ですが(特にプライベート)、常にそうであれば…想像つきますか?大怪我します。
感情というのは、本質的にスピードが早いのです。例えば、恐怖。獰猛な動物が目の前にいたら、すぐ警戒しなきゃいけません。すぐ動けるように。ノロノロしていると、食べられちゃいますからね。
一方、思考の方が遅いです。最大の理由は、(私が思うに)言葉を使っているからだと思います。なんらかの感情を言葉に当てはめて、比較検討や言葉同士で操作して、アウトプットする。その手間のある分、遅くなる。
スピードの遅い思考で、早い感情を捕まえるには、やっぱし、言葉にする事かな、と思います。
「わー、今アドレナリン出てんなぁ」とか、「心臓バクバクだよ」とか、「ああ、涙出てきた」とか。
自分より動きの早い、動物とか車、飛行機(?)を相手にするなら、反射的に行くよりありません。まるでスポーツ。しかし、生身の人間相手に話をしているなら、それほどの早さは不要ですよね?羽根つき、位かな。

なので!
感情を言葉で捕らえる練習をしよう!
1)感情を表す言葉は、沢山あります。沢山知っていた方が良いです。
何でも「スゲー」とか「やべー」で過ごしては、感情を捕らえられません。
2)「嬉しいぜ」「ありがとうよ」と、感情を言葉に出す回数を増やす。
感情と言葉を、近づけることです。プラスの言葉の方が、やりやすいです。

ここまでは、日常の練習、癖つけです。
次からは実習です。いつ始まるかは分かりません。

3)感情に飲まれていると気付いたら、一旦ストップ。
「ゴメン今オレ感情的だからさ、ちょっと落ち着くまで待って」と宣言(これも言葉)。
4)深呼吸する。黙る。相手にも黙ってもらう。
感情は、体を素早くコントロールするため、緊張をもたらしている筈です。そこをほぐす。
5)書き出す。
手の動きは、言葉より更に遅いです。手を動かしながら話す。言葉になるなら、それを書く。

と偉そうに言う私も、この夏一回、切れました。日々精進です。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

みなさん回答ありがとうございました。返事が遅れて申し訳有りません。

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