どうしたら困難に対して向き合えるのでしょうか
抽象的な質問で申し訳ありません。
どうしたら困難に対して向き合えるのでしょうか。
私は昔から嫌なことに対して決して自分から手をつけようとはしないのです。
そのことで明日、もしかしたら1時間後に苦しむことになるとしても手を付けないのです。
もしそれに手をつけて上手く達成出来なかったり、
それをやることで恥ずかしい目にあうかと思うと頭がぼーっとするのです。
手紙を出すように頼まれても字がヘタなので宛名書きしたくない。
書類を作る様に頼まれても疑問点を質問できないまま期日を過ぎてしまう。
そしてそのことで周りに迷惑をかけますます駄目になる。
何故そんなことを気にするのかと言われても私も分からないのです。
自己愛が強すぎるのでしょうか。
肉体改造はジムで行えるそうです。
精神改造はどこに行けばいいのでしょうか。
まったく変な質問で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そこがジムです。
はい、今あなたの、私のいるところはジムです。
ジムって何をするところですか?どうやって筋肉を付けるのですか?
筋肉に負荷をかけて、今持っている力を出し切ろうとすることで、筋肉は鍛えられるのではありませんか?その瞬間、筋肉は悲鳴をあげているかも知れない。けれどそのことで、筋肉は少し強くなります。「今のままじゃ、あの状況に対応できない。もっとあの筋肉に力を付けなければ」と、体が判断するのでしょう。
その文脈を援用すると、あなたの「やらなかったことによる苦しみ」は、そう大したことじゃないのです。「あー俺は心底ダメなやつ」という危機感や問題意識まで至っていないのです。結局何とかなってしまっているから、「ま、いっか」と言いながら問題を繰り返す。
だからね。ちょうどいいので肉体改造にチャレンジしてはいかがですか?「何となく行く気が起きない」とか「俺の今の体を見られたら嫌だな」とか「今日はだるいなぁ」とか、色んな言い訳が浮かぶでしょう。それを制して、肉体改造をする。できますか?
肉体改造のジムは、最初に書いたように心のジムにもなります。できますか?
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。今ここがジムなのですね。
そしてここで鍛えていくしかないのですね。
たしかにまずはカラダを鍛えてみるのが良いかもしれません。
これからジムに行ってこようと思います。
まずは肉体を改造しようと思います。
ありがとうございました。
とりあえずやってみることが見つかりました。