自分が一番上
自分は昔から自分が一番上だと心の底で考えているように思えます。
かと言って常に偉そうにしているわけでもなく
むしろ控えめなほうで、自信はない方です。
誰にでも分け隔てなく接することができて色んな人を寛容に受け止められるようになりたいと思っているのですが、心の底で自分が一番上、偉いと思っているのか 他人と自分を比べては優越感に浸り、他人が自分より優れていることを認めようとせず 相手のアラを探してしまいます。
また自分の考えは絶対だと思い込んでいて 自分の考えが通らないと気が済まないし 自分の趣味に合わない人には嫌悪感を抱いてしまいます。なのでよく偏った人と言われます。
以上から分かるように自分は全員おれに従えおれが一番上だ そういう風に考えているように思えます。もちろんその代償として 理想と現実に苦しんだり、むしろ劣等感を感じたり 他人に認められてもらうために生きています。
ここ数年なおそうとしているのですが うまくいきません こんな人間嫌ですし、毎日毎日変なプレッシャーを感じて辛いです。
アドバイスいただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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❝共(とも)に是れ凡夫(ただひと)❞
人は誰でも心の底では「自分が一番上(=偉い)&可愛い」と思っています。それが本性です。あなただけではありません。口や態度に出すか出さないか、だけです。
しかし、お釈迦様は人間が社会生活(=集団で生きている)をしている以上、各人が本性のまま生きると、世の中が乱れ、秩序が崩れてしまうとお考えになりました。そこで、戒律(=戒め・やってはいけないこと)を色々決めました。つまり、お互い「我慢」しましょう、という事です。
では、どうすれば「我慢」できるでしょう。それはものの見方、考え方を変える、という事です。それが❝共(とも)に是れ凡夫(ただひと)❞という事です。つまり「みんな同じなんだ」と考える事です。
聖徳太子はお釈迦様の教えを基に、まつりごと(=政治)を行う事を考え、『十七条憲法』を定めました。
「十に曰(いわ)く・・・人皆心有り。心おのおの執(と)れること有り。彼(かれ)是(よみ)すれば我(われ)は非(あしみ)す。我是すれば彼は非す。我必(かなら)ず聖(ひじり)に非(あら)ず、彼必ず愚(おろか)に非ず、共(とも)に是れ凡夫(ただひと)ならくのみ。是(よ)く非(あ)しき理(ことわり)、誰(だれ)か能(よ)く定(さだ)むべけん・・・」。自分が上でもなく、他人が下でもなく、同じ普通の人間だ、という事です。少し難しいですが、よく味わって下さい。このことが本当に分かった時、あなたは《素晴らしい人間》として、みんなから好かれることでしょう。合掌
質問者からのお礼
お忙しい中ご回答ありがとうございます。
少し圧迫された気持ちが楽になりました。
小さい頃からのものでそう簡単に変えられるものではないと思いますが、少しずつ随所随所でこの考えを元に考えていきたいと思います。
ありがとうございました。