結局自分が一番かわいいのでしょうか
自分が嫌いです。
人の欠点(特に彼氏)ばかり目に付いたり
そのくせちゃんと本音を言うのが怖くて溜め込んで勝手にモヤモヤして
人間関係でも、友達に無意識に偉そうな態度で接してしまっていたり
思いやれなかったり、ちゃんとお礼が言えなかったり
少しでも合わないと思った人を避けたり無視したりして傷つけたことがあるかもしれない。
自分を守ろうと必死になって、こんなことを繰り返しているのだと思います。
こんな自分がなんだかんだ一番可愛いのでしょうか。自分自身に嫌気がさしています。
どうすれば、こんな気持ちから抜け出すことができるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰もが自分がかわいいけど、その自分とはどういう存在か
結局自分が一番かわいい
それは事実でしょう。ではその可愛い自分を大事にするにはどうするか。そこが問題なのです。
あなたはその自分を優先するために必死になって、誰かを避けたり無視したりして傷つけたことがあるかもしれないのですね。でもそれでは何だか満たされないのですね。自分が可愛いなら自分だけ良ければばいいはずなのに何故でしょうか。
こんなエピソードがあります。
ある国の王様がいました。王様はふと自分の夫人に語りかけました。
『この広い世に自分より愛しいものがあるだろうか』
と。 王様は、 夫人はこの自分のことを一番愛しいと言ってくれるものと期待していました。
しかし夫人はこう答えます。
『王さま、私には自分より愛しいものはありません』
王様はその返事にガックリと失望しましたが、夫人に促されその問いをあらためて自分に問いかけてみると、やはり自分もまた、夫人と同じで『自分が一番愛しいものである』ことに改めで気づかされるのでした。
しかし、この考えは人として正しいのだろうか? そう疑問に思った二人はお釈迦様を訪ねて問いかけます。
するとお釈迦様はこう答えました。
『人のおもいはいずこへもゆく。されど、己より愛しいものを見出すことはない。どんな人にも、己はこの上なく愛しい。されば、己の愛しさを知るものは、他を害するなかれ。』
( 人は、誰もが自分自身を一番愛しいのだ。 自分がされて嫌なことを他に為してはならない。 何故ならば、同じように、その人も、最も己を愛しいからである。)
自分が大事だからこそ他を大事にするのです。
自分と言ってもその自分は誰かや何かとの関係を生きています。だから誰かや何かを抜きにして自分はありません。よって誰かや何かを大事にすることが、一番かわいい自分を大事にすることにつながるのです。
みんな自分が一番かわいい。それは寂しく虚しいことではなくて、それぞれが自分が一番大事な事を認め合うからこそ、そこに支え合い・譲り合いという交わりが生まれ、そして尊重が生まれるのです。
もちろん誰かのためだけに尽くしても、その誰かとの関係である自分が疲弊してしまいます。誰かのためにも自分を大事にし、自分のためにも誰かを大事にする。
自利利他円満のよいバランスを探りましょう。自分がかわいいことを認めていいのですよ。
人間ですもん
拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃる通り自分が可愛い、自分が大切なんですよ、誰しもが、それで普通なんです。
そのようにいっぱいいっぱいで生きているのが私達人間なんです。
個人でも社会でも国家でもみんなおんなじです。自分が自分達が可愛いんです。
だからこそもめ事も起きるのですからね。
成長していくことでそのことが緩んできて人の為に共に思いやる心が生まれてきますがそれには沢山の時間も経験もかかるんです。
焦る必要はないのです。
どうかあなたが健やかに成長して皆様と共に幸せに分かち合いながら心も豊かになっていかれます様心からお祈り申し上げます。