回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
不可思議
こんばんは。どうされましたか?良かったらまた詳しくお話しお聞かせくださいね。
さて、生きなくちゃいけない…ということはないのでしょうが、生まれてしまいましたからねえ。
生まれたからには生きようとするのが生物の本能ではあるのでしょうね。では、なぜ生まれたかと問われると、仏教的に答えるならばそれは「生まれる縁がととのったから」ということになるのでしょう。
親もその縁の一つに過ぎません。数限りないご縁がたまたまととのってこの世のこの時代のこの国に人として生まれ、そして生かされているのでしょう。
ならばその縁がととのったのは「なぜ?」と問うてもそれは「不可思議」としかこたえようがありません。「不可思議」とは人間の頭では追いつかない・間に合わないということです。
であるならば今生きているという事実から歩みを始めるしかないのが我々という存在でしょう。
そんな私たちは人間という弱くてちっぽけで愚かな存在ですから、生きてりゃ死にたいくらい辛い事もありますね。
それは「逃げ」というか一種の「防御反応」のようなものかなと私は思います。耐えられない辛さを現に身に受けた時に人がそう考えてしまうのはおかしなことではないでしょう。
でも「死にたい」と考えているだけではやはり現実は救われないのですよね。死という「思考」の世界にある意味で逃げ込み、現実を直視できていないということではないでしょうか。
そこから実際に「死ぬ」事を選ぶ人もいますが、それが単なる「逃げ」だとは私は思いません。
ある意味で誰よりも生きる意味を問うた人がたどりついた選択がそれならば、けして称賛はできませんが責めることもできません。悲しみとやり切れなさを抱えながら手を合わせるのみであります。
にゃにゃさんは今、死にたいくらい辛い何かをお抱えなのでしょうか。辛すぎる現実を直視してご自身の課題であると引き受けていくことは難しい状態でしょうか?
その辛さをここhasunohaでお話ししていかれませんか?
生まれたのも不可思議なご縁なら、ここでこうして会えたのも不可思議なご縁です。
お待ちしております。