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もっと早めに知っていたら

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簡単に解決できることなのに、
何年も引きずってしまいました。

後悔してます。

すべての人はそのときにベストを尽くしていて、もし、それよりもっと良い方法を知っていれば、私たちは必ずそっちを選ぶはずです。

とわかっているのだけど、
納得できないのです


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「遠回りの人生」こそが人を大きく育ててくれる

 亀山純史と申します。
 ゆかさんが考えるように、すべての人はそのときにベストを尽くしていても、もし、それよりもっと良い方法を知っていれば、私たちは必ずそっちを選ぶはずです。しかし、そもそも「もっと良い方法」とは何でしょうか。これを考えるのに一番いい例は、科学の実験だと思います。偉大な科学の成果の裏には、失敗があることはあまねく知られているところです。ある実験における期待される成果に対しては「失敗」だとしても、そこから別な偉大な科学の成果が生じる時、その「失敗」は、その偉大な科学の成果に対しては、「最高の良い方法」と位置付けることが出来るのではないでしょうか。ということは、何が「もっと良い方法」かということはわからない、あるいは相対的だ、ということです。
 でも、ゆかさんはそうは考えないかもしれませんね。「じゃあ、最初からその方法をすればよかったのに。そうすれば、時間やお金の無駄を減らせるのに。」と考えませんか。お釈迦様は29歳で出家し、35歳で悟りを開かれました。悟りを開くのに6年間の年月を要したのです。様々な修行を通して、悟りに至ったのです。「無用の用」という言葉があります。ある辞書によれば、「なんの役にも立たないようで、じつはたいせつな役割をはたしていること。」と定義されています。足が触れている下の地面は歩くのに必要です。では、足が触れない地面は不必要でしょうか。もしも足が触れている下の地面だけしかなければ、人間はバランス感覚を失い、歩くことが出来なくなります。つまり、「最良の方法に至るには、一見無駄とも思えることも必要だ。」ということです。「遠回りの人生こそが人を大きく育ててくれる。」のではないでしょうか。
 お釈迦様は仰っています。
 「過去を追うな。未来を願うな。 過去はすでに捨てられた。そして未来はまだやってこない。 だから現在のことがらをそれがあるところにおいて観察し、 揺らぐことなく動ずることなく、よく見きわめて実践せよ。 ただ今日なすべきことを熱心になせ。(「中部経典」より)」
 「今日なすべきこと」とは「もっと良い方法を知っていたら、と後悔すること」ではありません。たとえ、それが遠回りの人生になったとしても、今日なすべきことに熱心に取り組むことは、いずれその人を大きく育ててくれるものと信じています。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

そうです。だから、学ぶのです。

いいところに気づかれました。何事かについて「後の祭り」と、済んだ直後により良い方法が見えたりするものです。「だったら、もっと前に教えてよー」と言いたくなります。この問題意識が、次の学びの発端になります。試験など思い出すと、ピッタリ来ますね。
しかし、試験問題ではなく現実の問題となると、事はそう単純ではありません。試験には万人共通の正解がありますが、人生の問題は全部が個別。誰かにとっての正解は、その人だけのものです。本にせよアドバイスにせよ、他人の経験はヒントにしかならないのです。そこを飲み込まなければならない。
あなたは、自分の考えで何とかしようとしてきて、でもある時解決した。それが簡単かどうかは、一定ではありません。悩み始めた時のあなたにとって、それは困難な方法だったのかも知れない。いまその解決方法に出会ったからできた、そんなタイミングだから、解決できたのです。
ですから、いま私たちにできるのは、色んな人生を学ぶ事です。小説はその宝庫ですし、このhasunohaを全て読破するのも良いでしょう。その中の何かが、将来あなたがぶつかる問題のヒントになる事は、充分あり得ます。
問題が来る前に、その解決方法を知っていなければ納得できない、と仰るのかも知れません。しかし、そんな事がピンポイントで知らされる訳はありません。せめて予め、問題の起きていない時に、たくさんの人生の姿を学ぶ。あるいは問題が起きたら色んな人に相談する。「問題が起きた」という事は、すでに「自分の今までのストックでは解決できない状況」であるからです。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...

質問者からのお礼

あのとき、ああしていれば、
お金も、今の苦労も悲しみも悩みも
絶対にありえなかったはず情けなくて
自分が許せなくて、
ここ半年以上毎日毎日泣いてました。
どんなに考えても納得できなかったからです。
非常に心にしみました。
毎日ご回答を読み返そうと思います。
優しい回答でありがとうございます。

他人の助言もヒントなだけで、
誰も正解はわからないんですね。
本もいっぱい読みます。

問題が起きた」という事は、すでに「自分の今までのストックでは解決できない状況という言葉を忘れないで過ごしますっ

「後悔から抜け出したい」問答一覧

結婚披露宴での後悔

3年ほど前の事なんですが、今になって常識のない失礼な事をしてしまったと後悔しています。 自分の結婚式で祝辞をいていただいた上司へのお礼をきちんとしませんでした。 祝辞をしていただいた方には、お車代を渡さないといけない事を知っていましたが、当時私は常識がなく、お車代は交通費と思っていて、祝辞をお願いした方は同じ市内で交通費がかからない方だったので、それは違うかなとお礼を包まず、引き出物のランクを上げてそれをお礼とし、当日、後日に口頭でお礼を述べて終わってしまいました。 後になって、お車代=お礼という事を知りました。引き出物のランクを上げたと言ってもマナーで言われているお礼の額ほどは上げず、少し上げた程度です。 今考えると引き出物のランクアップしても、相手は誰と比べるわけでもなく気付きませんよね。 その時の私は、祝辞を引き受けていただいた事にとても感謝していましたが、お礼はこれぐらいでいいだろうとお礼を軽く考えていました。 今になって色々と調べてみると、お礼を包むのがマナーと知り、上司に対して非常識な事をしてしまったと気づきました。 義母がお礼をとても大切にする方で、結婚後それを間近で見ていて、お礼の大切さを知り、なんて事をしてしまったんだ、お礼を軽く考えていてなんてバカだったと自分がとても情けないです。 夫側の祝辞や乾杯をしていただいた方へのお礼も、義母が別で準備し渡してくれていた事を最近知りました。 祝辞をしていただいた上司に大変失礼な事をして申し訳ない気持ちでいっぱいです。上司はそんな私に対して、式後も変わりなく接していただき、感謝しかありません。 私はその後、退職したのでその方ともう関わりがなく、謝罪もお礼ももうできません。 他にも、スピーチをしてくれた友人、余興を頼んでしてくれた友人にも同じような対応をしてしまい、みんな私の為に忙しい中、時間を割いて考えて準備してくれたのに、このような対応をしてしまい、申し訳ないです。 この事を考えていたら、結婚披露宴での自分の対応で次々に心配になることがでてきて、頭がいっぱいです。 もうどんなに後悔してもやってしまった事はどうにもならない事で、自分があの時にしっかり対応していればこんなに悩む事もなく、自業自得な事なのですが、この気持ちをどうにも消化できず、最近ずっと考えてしまいます。

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色々な後悔、これからのこと

40代、結婚10年子供なしです。 結婚や出産に興味なく、子供の時からお金への不安を親から植えられていたせいか仕事をどうしても諦められない気持ちが強く、結局欲しいと思ったときに妊活しましたが出来ませんでした。夫婦2人の生活がこのあと続くのですが、やはり子供が欲しいと強く思えなかったんだろうか、女なら子どもが欲しいのが普通だったんだろうか、妊活に向き合う気持ちが薄すぎたんだろうか、邪心があったからできなかったのか、、と心が乱れまだこと人生を受け入れる準備が出来ていないように感じます。 不妊治療は遠方まで通院し、仕事の間に通って、家で注射したりと自分ではやることはやったのですが、世間でよく聞くような「やり切った感」はありません。 夫とはこれまで数えるしかSEXもなく、妊活も不妊治療にいきなり突入。夫婦生活もこの先ないまま女としても終わると思います。それでも夫と結婚して良かったとは思っています。 この人の子供がみたいとか、この人となら子育ても乗り切れそうと今なら思うのですが、結婚当初や不妊治療中はそう思えず、そう思えなかった自分も責めてしまいます。 今、自分、私を生きるしかないのは頭では理解するのですが、このところ今までの人生を振り返って、つい他の人の人生と比べてしまうこともあります。 今を生きるためにお知恵をいただければと思います。

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他人の意見を鵜呑みにして後悔、自己嫌悪

 新卒で入った会社で最初に配属された先が希望と異なり、入社依頼ずっと異動を希望してました。 配属先の仕事は全く自分に合っていませんでしたが異動のないまま3年目に突入し、 向いていない、希望もしていない仕事、別件での上司に対する不信感も拭えず、毎日毎日もう無理辞めたいと思っていました。  そんな折、突然人事との面談があり、前々から希望していた配属先の名前を出されました。人が辞めて空きがあったので希望すれば行くのはほぼ確実でした。  少し前ならすごく嬉しくて、やります!と喜んで言っていたと思います。 しかし、偶然にも面談の数日前に長く働いている先輩社員からその部署のよくない噂を聞かされ、あそこだけは絶対にやめておけ、兎に角だめ!と強く言われていました。私からはその部署の話は何もしていません。  今までならそのような他人の意見は無視していましたが、この時既にかなり心が参っていて冷静に考えられませんでした。 月の半分くらい仕事中でも涙が止まらないことがあり、日々の仕事をこなすのが精一杯で、こんな自分がそんな環境でやっていけるのか?という不安と恐怖で、 行きたくないです。と言ってしまいました。  正直、2年目の終わり頃には、今の部署から離れられるならどこでもいいから早く異動したいという考えになっていたので、ずっと望んでいた絶好の機会でした。 なので言ってしまってすぐに、何言ってんだよと思いましたが、それまで聞いた色んな悪い話が頭を駆け巡ってとうとう言い直すこともできませんでした。  結局今回も異動はなく、1,2年で異動と言われていたのが、いつか、に変わり異動の希望も持てず続ける気力もなく退職に至りました。  最近になってこの時のことを思い出して、あの時自分の意志を曲げずにいたら、 なぜ言うことを聞いたのかなど、ぐるぐる考えて眠れず、明け方目が腫れるまで一晩中泣いている時があります。  当時は、意見を参考にしたのは自分だから、思い通りいかなくてもこれは自分の責任だと心にもって決断したつもりでした。 でもつらくなるとどうしても先輩の言動と今の状況を結びつけて考えてしまいます。  今更どうにかなることでもないのに、こんなことを考えてしまう自分が嫌です。現状から逃れるための言い訳に過ぎないのは分かっていますが、後悔の無限ループから抜け出せません。

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就職のタイミングを逃して後悔

はじめまして。28歳の男性です。 コミュニケーションに自信がなかったこと、自由を奪われるのではと怖かったこと、そして祖父母の支援があったので、4年前に大学を卒業しましたが就活をせず、今までアルバイトを少ししながらのんびり過ごしてきました。海外に半年間の語学留学までさせてもらっていました。国内外でいろいろな人とかかわって、苦手だったコミュニケーションも自信がつきました。 しかし、この春がいわゆる第二新卒として就職をする最後のチャンスだったと、先月気がつきました。興味があって説明会に何度か行った会社も、もう年齢的に受けられないと知り、自分が就活を引き伸ばしていたことを激しく後悔しています。先月からは、毎日毎日その後悔ばかりです。 やはり前に進むのが怖いのでしょうか。社会に出るのに、その会社に入るのがぼくが一番望んでいたし、やりやすかった方法だったと思うんです。その会社でやりたい仕事もたくさんイメージがあります。 とにかく、毎日の後悔にもう疲れました。後悔ばかりではいけないと、転職サイトに登録して相談したり、友人にアドバイスをもらったり、求人を探したり、現実的に動こうとはしています。けれど、どれだけ現実的に動いても、頭のなかで後悔し続けるのは終わりません。 後悔で疲れたまま現実的に就活のため動くのも、なんかブレーキをかけながらアクセルを踏むようで、車が…体がどんどん疲弊していきそうです。 休息がほしいです。

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大学時代を後悔

いつもサイトを拝読しています。悩みが腑に落ちる感じがして、ありがたいです。 はじめて投稿させていただきます。よろしくお願いします。 社会人一年目です。大学時代の後悔がふつふつと浮かんできます。 主な後悔は、人間関係とゼミです。 私は、中高一貫校出身です。中学の時に、人間関係で失敗し、自分は嫌われ者だという意識の中で生活していました。実際、高校時代の嫌われ度合いはすごかったです。悪口もたくさん言われました。それから、人と関わることがとても怖くなりました。中高生活の中で、自分のダメなところを何度も何度も反省して、自分を責めながら生きてきました。余暇は大概自分の粗探しに消えていたように思います。 大学に入ってからは、やり直そうとと思い、サークルに入ったりして人との交流を広めたりしました。しかし、やはり、人の集団に入るのが怖く、サークルでも自分は多くの人と関われなかったという後悔があります。これが一つ目の後悔です。 二つ目の後悔はゼミです。 分野から選んだため、ゆるく、やることがあまりないゼミだとは知らずに入り、学びを深めることも、ゼミ生と交流を深めることもあまりできませんでした。 また、教授に嫌われている気がして、辛かったです。自分と話す時だけ、テンションが低いです。自分が怖がりながら話していたせいもあるかと思います。自分は、人を怖がっていて、無表情で関わりづらい性格だと思います。また、自分が嫌われても仕方ないことをした、と自覚していることもあり、自業自得だと感じていました。 ゼミ自体が居づらかったです。ゼミは全体的に、仲良いということはなく、サボっている人も多かったです。やることがあまりなく、中身がないゼミでした。本当は自分から勉強するのが大学だというのはわかります。しかし、まだ、学び方さえ十分にわかっていない状態だったのです。このゼミに入っていなければ、もっとよい学生生活が送れたのではと、後悔しても仕方ないことが頭に浮かびます。 昨年はコロナで学生生活がなくなってしまった(皆同じだとは思うのですが)ことから、消化不良や、後悔ばかり浮かんできます。自分が完璧主義なせいもあるかと思うのですが、この後悔の念をどうすれば良いのでしょうか? 読んでいただき、ありがとうございました。よろしくお願いします。

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過去への後悔で苦しんでいる

はじめまして。 最近、過去の過ちの重圧に耐え切れません。 10年ほど前に何度か行ってしまった罪です。 家族や友人など身近な人にはとても言うことができません。 もし言えば家族を傷付けてしまうだろうという理由と、言うことで周りに軽蔑されてしまうことが怖いという汚い感情です。 また、こうした匿名の場であっても直接的に記載するのは憚られてしまうほどの罪であるため、お恥ずかしながらお坊さんのみに公開される設定にさせていただいています。 最近は毎晩、過去を振り返っては吐き気がし、自業自得ながら自己嫌悪と罪悪感で食事も睡眠もままなりません。 そんなことをしても意味がないとわかっているのですが、ずっと考えてしまうことがつらく、死んでしまいたいとも何度も思いました。 大人になった今では、そんなことは絶対にしないと誓えるし、過去の自分を怒鳴りつけてやりたいくらいです。 罪の重さに気付いたのは数年あまり経ってからで、当時も酷く後悔し、何度も自殺を試み、自分の身体を何度も斬りつけてしまうこともありましたが、その衝動も落ち着き、時折思い出し深く後悔しながらも今日まで過ごしてきました。 ですが、1ヶ月ほど前に思い出した瞬間、堰を切ったように大きな罪悪感が襲い、思考が埋め尽くされてしまいました。 このままでは勉学や日常生活にも支障が出てしまうため、どうにかしたいともがいていたところ、このサイトに辿り着きました。 自分の罪がとても重く感じ、世界で一番汚いのは自分だ、生きていてはいけないとさえ感じます。 いま私は、釣り銭を多くもらったときには受け取らず返したり、道を聞かれたときはわからなくても一生懸命応える努力をしたり、バスで席を譲ったり、ありきたりながらも周りのために出来ることを考え、行動するように心がけています。 罪を許されたいということが全てで周囲に優しくしているわけではありませんが、少しでもよい人間になりたいという想いがあります。 それでも、自分が一度でも大きな過ちを犯したという気持ちが四六時中頭から離れません。 私は決して許されてはいけない人間なのでしょうか。生きていてはいけないのでしょうか。とても怖いです。 告白して、楽になりたいというのはエゴでしかないし、抱えているのもつらいです。

有り難し有り難し 20
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