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つい先日振られてしまいました。とても苦しいです。

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つい先日ずっと信じていた彼に捨てられるように振られてしまいました。

別れのきっかけは喧嘩でした。
彼がSNSで使っていた名前はある人につけて貰った名前なのですが
私はその人がとても嫌いで、だから彼のその名前がとても嫌いだと言ってしまいました。
それから彼と喧嘩をし、収集の付かない事になってしまい彼から「おまえを好きなった俺が悪かった」「出会わなければ良かった」と言われて彼は連絡先を変えて二度と連絡が取れなくなりました。
なんとか共有の友人を通じて謝りましたが二度と会う気がないといわれ結局破局に。

私は以前元恋人に何度も浮気をされた挙句最後はまるで私の存在がなかったような態度を取られた事があって、恋愛にはとても臆病になり彼に告白された時も「怖くて付き合えない」と言いましたが「自分は絶対にそんな思いをさせない」と言い私を二カ月間も待ってくれました。

なのに付き合って一ヶ月で別れてしまいました。
彼とも自分から別れを言い、連絡先もすべて削除しましたし復縁する気はありませんが一人になるとどうしても甘い思い出を思い出してしまい。「ああ、もう自分を甘やかしてくれる人はいないんだ」と思うと苦しくて堪りません。

どうすれば良いのでしょうか、とても反省しているんです。
でもこんな苦しい自分を見ても彼はあんな冷たい態度を取るのか、と思うと憎い気持ちが湧いてきそうです。

どうすれば前向きになれるのでしょうか、どうすれば彼を恨まずにこの苦痛を和らげられるのでしょうか。
彼を信じた私が、愚かだったのでしょうか。
とても、苦しいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

世界中の男性が次の彼氏候補です

元彼との別れで、この世の終わりのように自分を苦しめないでください。そんな不幸はことではないですよ。

お付き合いしていても、結婚していても、別れはいつか来ます。何十年一緒にいても、死という別れがあります。それが、当たり前なのです。

目の前の出来事は瞬時に過去に変わります。付き合っていたのも過去。それは記憶でしかなくなります。捕まえておくことはできません。

もう元彼は元ですから、記憶の中にしまっておいて、あなたの今の置かれている立場と比べることもなく、そっとしておきましょう。

人は他の人を自分のものにしておくことはできません。思い通りにしようとすること自体に無理があります。家族や恋人にはそうした思いで接してしまいがちですが、それは無理なことなのです。

そうしたことを理解した上で生きていきましょう。
あなたはすでに新しい人と出会えます。世界中の男性が彼氏の候補です。選び放題^_^
一人うまくいかなかったからといってそんなに思い悩まず、世界中から、あなたにあった人を見つけてください。きっといいひとがいますよ。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

恨む必要はない

両思いというのは、片思いと片思いの矢印がたまたま向き合っているだけなのです。
ちょっとのズレで、片思いに戻ってしまいます。
ただの自然減少みたいなものです。
誰かを恨む必要はありません。
「裏切られた」という考え方では恨みにつながってしまいます。
「うまくいかなかった」だけです。
とはいえ、うまくいくためには、お互いの努力は必要ですけどね。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

時分ワールドの共感を押し付けない

男性に対して女性的独自目線で接しますと「ズレ」ます。
異性とはそこに居ながらそこで勉強するものでもあります。
他人に対して自分的独自目線で接することも「ズレ」ます。
一人でいる時と、共同生活とは異なるものです。
相手の尊厳を認めて、あまり自分ルール、自分ワールドの共感を求めないことです。
人間みんな自分を生きています。
自分しか生きられません。
あなたもそうでしょう。相手もそうなのです。
ちなみに男性で自分を押し付けてくるタイプは束縛屋、拘束屋ですので、ご用心を。
あなたも自分を慎む。
次に選ぶ男性もそういう押しつけの無い人を選ぶべきかと。
人はエゴとエゴでケンカして別れるのですから。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

おかげで立ち直れました。
皆様が答えてくれた言葉を毎日読み返しています。
今回の件で私は大きく成長したと思います。

彼は戻ってきてくれました。
今はただの友達関係でいたいと言い彼もそれを受け入れてくれています。
いつかうまくいくような相手に出会えるよう前に進みます。

本当に救われました、ありがとうございます。

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