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人の声に揺らぐ

回答数回答 1
有り難し有り難し 13

人の声に振り回されてしまい、疲れてしまいました。人の数だけ意見があるのだから仕方のないことかもしれません。相手にとっては何気ない一言でも、私は話を聞いてほしくて相談するし、たまにはすがる思いで相談もします。
Aと決めていたことに背を押してほしくて相談し、決めた後にBのほうが良かったと言われ。自分でも決めたことなのに、Aを選んでしまったことが酷く残念にうつってしまうのです。
全ての人に好まれるものなんてないのに、ここぞという時に周りの人になんて言われるんだろって思ってしまい、自分の意見だけで決めたらまた何か批判的なことを言われると思うと相談してしまいます。
自分の意見に芯が持てないのです。
たくさんの人の言葉は、有難くもあり、苦しくなります。
私は人に甘えてすぎてるのでしょうか。
全ての選択を自分で決められないわけではないですが、人に頼ってしまう甘ったれです。
もうどうしたらいいのかわかりません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様の声

さくたろうさん初めまして。

さくたろうさんのおっしゃる通り、人の数だけ意見があり、人の数だけ常識があります。そのいちいちをまともに受けていては疲れるばかりだと思います。

しかしそれは理屈。
そんな理屈は百も承知であるとお察しします。

人は『わかっちゃいるけどやめられない。』
弱い存在であると思います。

その弱さゆえ、誰かを頼りたくなり、信じたくなり、もたれかかりたくなったりするのでしょうね。
そんな弱く、頼りない存在が人間であるように思います。

弱く、頼りない私たちは誰かに、なにかに頼りたくなって当たり前なんです。
その心はごくごく自然な心なんです。
ここで、大事なのは誰に頼り、何に頼るのか。ということです。

弱く、頼りない人間が、同じく弱く、頼りない人間に頼るのは限界があります。
決して裏切らないもの、人間以上のものに頼る心がなければ真に安心して生きてゆくことができません。

仏さまは生きとし生けるものすべての母親であるとお受け取りいただきたい。
子が親を頼るように、親が子に頼られることを待っているように。

すべてのものが、そのまんまの自分でいいよ。弱い自分で、甘い自分で。
あなたのそのまんまを私はすべて受け入れるから。
そんな言葉を、声を発しておられる存在が仏さまです。

人の声を聴くことももちろん大切なのでしょうが、一番大切なのはこの仏様の声なき声に耳を傾けることだと思います。

さくたろうさんのそのまんまを、
わたしのそのまんまを、
仏さまは慈しみの目をもって見守っておられます。

そんなまなざしに思いを寄せると
不思議と生きる力が湧いてくるのです。

真に頼れるものを頼りながらであるからこそ弱く頼りない人間が強く生きていけるのです。

いつでもどこでも結構です。そのままの自分で
なむあみだぶつと口に出してみてください。
頼ってみてください。
大いなる存在に呼びかけてください。

おのずから心静まり、今より生きやすくなっていくことと思います。

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質問者からのお礼

大乗さま
有難いお言葉ありがとうございます。
弱く頼りないものが人間。私だけが弱いのではなく、周りの人も弱い生き物なのですね。
誰に頼り、何に頼るのか。
頼りたくなった時にどうしたら良いかを自分で決められるように周りを見渡したいと思います。困った時は、なむあみだぶつを唱えて、仏様に呼びかけてみたいと思います。
弱け甘い自分でも良いのだと、少しだけ自分を許せそうな気がします。
静かに、優しく見守られながら日々を生きていることに感謝します。
ありがとうございます。

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