19歳の息子が自死しました。
今年の1月8日息子が亡くなり、まだ中陰の期間です。
1月5日の日に、お父さんと2人で旅行楽しんでおいでと送り出してくれて、その時に僕も考えたいことがあるから、ゆっくり考えると言っていました。
旅行最終日の早朝に息子が自分の部屋で亡くなっていると母から連絡を受け、現地からどのように帰ってきたもかも記憶にありません。
警察署の安置場に迎えに行った時には、息子の名前を呼び家に帰るよ!って思わず言ってしまいました。
いろいろ、息子の事を考え、ネットで調べると自死は、亡くなったその場から離れられず、永遠に同じ行動を繰り返していると知りました。
息子の為にも、みんなで仲良く生活をしようと思っても。息子の部屋では、目に見えない、感じられないけど、息子が苦しみ続けているのかと思うと、胸が詰まり、なかなか前向きになれません。
遺書には、学業や私と実母の確執の間に挟まれ思い悩むことがあり、これ以上生きていくのは難しいと考え、自分の意思で死にますと書いてありました。先の約束もいっぱいしていたのに、何で?という気持ちでいっぱいです。
毎日毎日、霊前でお経を読み、御逮夜には、それぞれの本地のご本尊がある御寺をお参りして何とか暖かい世界に向かってくれるように拝んでいます。
人として生まれ、やってはいけない事をしてしまった息子が苦しんでいないか?もし苦しんでいるなら、私には今何をしてやれるのかを教えて頂きたくて投稿いたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これからずっと
拝読させて頂きました。大切な息子さんを突然亡くされてあなたもご主人様も大変深い悲ししんでおられることかと思います。
あなたとご主人様のお気持ちを心よりお察し申し上げます。
そして息子さんが必ずや仏様のお導きを受けて、仏様の元に生まれ、一切の悩みや苦しみから救われて心から穏やかに安らかになられますようにと仏様にお願いさせて頂き、お念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
仏様は必ずや息子さんを救い導き、仏様の元に生まれさせて下さいます。そして心から安らかに安心なさって下さいます。
そして円満なお気持ちでご成仏なさって下さいます。
あなたもどうぞ真心を尽くして仏様に息子さんをお願いなさって下さいね。そして心を込めて手を合わせてご供養なさって下さい。
あなたの思いや私の思いは必ずや仏様に届きます。
息子さんとあなたやご主人様とのご縁はこれからもずっと続いて参ります。
息子さんは必ずいつ如何なる時でもあなたや皆さんを優しく見守っていて下さいます。
そしてあなたやご主人様がその天寿を全うなさった時には仏様がお導きなさって下さり、必ずや息子さんとお会いすることができるのですからね。そして喜び分かち合うことでしょう。
どうぞこれから合間合間には息子さんを思いあなたのお気持ちを息子さんに語りかけて下さい、そして真心込めてこれからずっとご供養なさって下さいね。
あなたのその思いは必ず息子さんは受け止めてくださり、喜んで下さいますからね。
南無阿弥陀仏
息子さんのご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。南無阿弥陀仏
さて、「やってはいけない事をしてしまった息子」さんは生きている間も死を選ぶほどの苦しみを抱えてこられたのに、亡くなってからも「その場から離れられず、永遠に同じ行動を繰り返している」悪霊のような扱いでは酷過ぎます。
けしてそんなことはありません。ネットの知識を鵜呑みにするのは慎みましょう。死後は誰にもわかりません。わかるのは大切な亡き人を思う今生きている自分の心です。亡き人をご先祖様にしたり、悪霊にしたりしてしまう自分こそ、お寺参りをして仏教にあわなければならない存在です。
息子さんを心配するお母様が今息子さんから心配され、仏教と言う真実に出会ってほしいと願われているのです。
自死を選択する人は最後の最後まで葛藤・逡巡があります。先の約束をしているように、迷いが有ることは明らかです。その選択は選択「している」というより「させられている」ものかもしれません。
息子さんをそこまで追い詰めたものは何だったのか、残された者たちこそ仏教に尋ねていかねばなりません。
自死を選択した人は生きている誰よりも強く生の意味を問い、戦い抜いた人です。そしてその意味を死に見出すにいたったのでしょう。その選択はとても悲しく、切なく、言葉も絶えてしまうものですが、ただ責めることはできません。そこに至るには様々なご縁の影響があり、本人だけの責任ではありません。
お母様も混乱と疑問と悲しみの中で大変な心情かとお察しします。中陰のお勤めを通してお寺さんと共に仏法に息子さんのいのちの真実を尋ねて参りましょう。
お寺参り以外には「自死遺族のつどい」などに参加することもいいかもしれません。同じ境遇の方との交流を通して自分の姿が明らかになった時、お母様の心の中の息子さんの成仏があるのではないでしょうか。
息子さんは今はもう苦しみから離れ、仏様と同じはたらきとしてお母様に仏法を伝えてくださっています。
南無阿弥陀仏
合掌
質問者からのお礼
お礼の返事遅くなってしまいました。
毎日毎日、自分自身の中の葛藤でなかなか文章が思いつきませんでした。
49日までは私の息子、49日からは仏さまと思い感謝のお経を唱えようと思っています。
過去に父、義父、祖父母を送ってきましたが、何となく法要を意味も分からず行っていました。今回初めて漢字ばかりのお経の意味を理解しつつ唱えています。
私自身に穏やかな息子の姿を思い浮かべ、南無阿弥陀仏を唱えていますが、現実的な距離も日に日に遠くなった気がします。
時には少年期の息子の姿、青年になった息子の姿が、その時々に姿を変えて昨日の出来事のように思い出されます。