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二年半前別れた彼と復縁したいです

回答数回答 1
有り難し有り難し 6

初めまして、お知恵を貸して下さい。
彼と別れた理由は話が噛み合わないことや、癇癪を起こす等が嫌だと言われ、もし治ったらまた付き合うと彼は言いました。
別れてから彼との関係性が変わることはありませんでした。

別れて半月後新しい彼女が出来ました。そこから摂食障害、鬱、不眠などを発症してしまい、自傷癖や希死念慮も酷く、当時大学三回生だった私は学校にいけなくなりました。
彼は、猛アタックしてきた彼女を断りきれず付き合ったため、好きになれない等私に愚痴を零していました。
それから3ヶ月後、喧嘩して縁を切ることになりました。
ですがその直後彼女と別れ、2ヶ月後喧嘩について謝られ、仲良くしようと言われ関係性は戻りましたが、そこから3ヶ月後、行動がおかしいと思い、問い詰めたら一週間前に告白してきた女と付き合ったというのです。

こうなってしまったのは、過去に私が彼に酷いことをしてしまったから、元々そんなことをする人ではなかった、私がもっとまともな人間であればと自分を責めて、自分が変わるために生きています。

悩み、一年半前お寺に相談に行きました。
住職さんはとても親身になって聞いて下さり、幾つかのアドバイスをいただきました。それを参考にして彼が嫌だということを治すようにしてきました。
けれど彼は未だに何も変わっていないと言います。

1年前、荒治療のつもりで、彼に私が他の人と付き合っていいのか、というのを確認した上で、その時告白してきた人と付き合おうとしましたが、その人の家にいる時、彼から鬼のように着信が入り私は家に帰りました。
その日話し合いで、彼は最初すごく切れていたのですが
最後に泣きながらやっぱり嫌だと言いました。じゃあ復縁しようと言ったのですが、それは私が変わってからだと言いました。
彼の望む人間になれるよう頑張る事にしました。
付き合う予定だった人には理由を言い、それ以上会わないようになりました。
それから男性からは距離を置くようになりました。

そして現在、このままでいいのか思い悩んでいる時、今度のクリスマスに男性にデートに誘われ、行く事にしました。
まだ私は彼が大好きなので、その人のことを好きになれないかもしれませんし彼がいない世界は生きていたくないので悪い気もします。

頑張っても、何も変わらない現状に死にたいです。助けてください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

できない理由を挙げない

求める結果がはっきりしていますから
結果に繋がる原因を少しずつ少しずつ積み上げていくことが大切でしょう。

できない理由を挙げればきりがありません。
明るい希望を手放さず試行錯誤を繰り返すうちにはっきりと答えが出てきます。

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有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れ...

質問者からのお礼

四次元 法華塔さま
御回答、ありがとうございます。
出来ない理由、挙げていたらキリがありませんよね。
今や未来に対して絶望してしまうことが多い私ではございますが、明るい未来を目標に、出来ることをやっていきたいと思います。
叱咤激励していただき、ありがとうございます。

「希死念慮」問答一覧

特に悩みはないけど、希死念慮が消えません

初めての相談です。 物心ついた時から希死念慮が消えません。 もちろん楽しいことをしている真っ最中や、そう言った予定の前日は消えますが、基本的に死にたいという漠然とした思いがあります。 中学生の時、祖母と同居するようになり、ストレスがひどくなりました。 毎日祖母と母親が喧嘩するからです。 母親は祖母から躾という理由で暴力を受けていたこともあり、私は祖母のことが嫌いでした。父も母も祖母のことは嫌いで、家庭環境は最悪でした。 先日祖母が亡くなりました。道徳的に問題があるとは思いますが、人生で一番嬉しい瞬間でした。 この時、今後は一切のことに悩まず毎日明るく楽しく暮らそうと決意しました。 しかし、実際は仕事が思うように進まないなど小さなことで不安になる自分を変えられませんでした。ちょっとしたことで死にたいと思ってしまいます。また、不安なことがあると夜寝れなくて、次の日思うように自分の力を発揮できず、そんな自分に苛立つことも頻繁にあります。その気持ちを夫にぶつけてしまう自分に何より嫌気がさします。こんな不安な気持ちにすぐなる自分は人間に向いていないと感じています。客観的に見て仕事も安定していて、人間性がとても良い夫もいて、人間関係にも恵まれている、不満のない人生だと思います。 結局は小さなことに反応し、不安になり、死にたくなる自分に問題があるとわかっています。これだけ死にたい気持ちがあっても死ねない自分の勇気のなさも情けなくてたまらないです。 まとまりのない文章で申し訳ないですが、何かアドバイスが頂ければと思い、相談しました。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

希死念慮と闘ってきました

はじめてお話させていただきます。よろしくお願いいたします。 何年も希死念慮に抗ってきました。 死んではいけない。生きて責任を全うしようという意思はあります。苦しくて涙が出るのは、死にたいという気持ちを死んではいけないという考えで打ち消そうとするときです。 気持ちを押し殺さなくても、終わりの準備をしながら生きればいいと己に言い聞かせてここまで長らえました。生命保険、連絡先の整理、持ち物の処分、仕事のマニュアル作成……でももう頑張れそうにないのです。 愛犬に病気が見つかりました。 なぜ犬がこんな目に?私の病気だったらよかった。延命治療は苦痛では?最後まで一緒にいたい。その後は? 私の役目も希死念慮も関係ないところで、犬の存在だけは幸福そのものだったのに。 私はこのさき何十年も死ぬ準備を続けていく自信がありません。心が落ち着かず、最近は物を捨てる行為をとめられません。 その時がきたら、誰かにお疲れ様と言われたい……などと贅沢なことも望んでしまいます。お坊さんは、自死するような愚か者に労いの言葉はかけてくださいませんか? 最後まで犬に寄り添うことができたら、もう一度ここへきてお話してもいいですか?

有り難し有り難し 23
回答数回答 1

生の強制を信奉できない

以前自殺願望について何度も相談させて頂いたものです。何度もお手数をお掛けして申し訳ありませんが、またご相談の程宜しくお願いいたします。 私は、皆さんとの対話の末に何とか生きる目的を導き、少しずつ自らの存在と自身が存在する世界を祝福できるようになりました。ですが、自身の中で解決していない問題があります。 生の強制と自殺についてです。 私が知る限りでは、仏教は生と死という対立概念について中立の立場を取っています。生きようが死のうが問題ないような心構えを説かれているように思えるのです。私はこの考え方に大いに賛同しているのですが、その立場故に生存を無条件に強制する人たちに対して今でも強い忌避感を覚えてしまうことに悩んでいます。 私は、ハスノハ以外でも両親や友人、教授に自殺願望の悩みを打ち明けたのですが、その誰もに私に対して「死ぬな」という事を前提に説得されました。 私が、生活に不満はないがやることがなくなり、これ以上生命に執着したくないという事を打ち明けたとしても、その発想自体を幻想と一蹴され頑なに生を強制されました。 説得者の言葉からは、現実の私ではなく、説得者のイメージとしての私や、先程述べた死生観を見ているような見当違いを感じ、それ以来人を信頼できなくなっています。 断っておきますが、この方々が悪い人間とは思っていません。むしろ、自己の想像の範疇で私を助けようとしてくれる善人だと思います。しかし、それ故に彼らが生きるという事を無自覚に狂信している事実に深い断絶を感じます。この世のどんな渓谷よりも深い絶望的な断絶の向こう側に、ひとりぼっちで取り残されたような感じです。 私は、彼らのように生を肯定すること自体は問題ないと思っているのですが、生に取り憑かれ、挙句他者にそれを強制する傲慢さを拒絶せずにはいられません。 生きたいと決心した人が快く生き、死にたいと決心した人が悔いなく死ねる。そんな世のあり方を私は望んでいますが、この考え方に取り憑かれた私もまた傲慢なのでしょうか。 そもそも、仏教の教えを信じる時点で私は傲慢だったのでしょうか。

有り難し有り難し 20
回答数回答 2

世界一優しい戦士

以前から希死観念について相談させて頂いている者です。何回もお世話になり申し訳ありません。 これまでの相談で、私は生きる理由が無いにも関わらず原始的欲求や死の苦痛に対する恐怖、なけなしの人情などに屈して死ねない自分に苛立ってきました。そんな中で「人の煩悩、ひいては人という概念に打ち勝つ」という人生で初めての目標を持ち、それを自殺によって達成しようと思いました。 しかし、数々のご相談で皆様になだめられ、煩わしさを感じながらも踏み止まる間、ある偉人の格言に出会いました。 「戦いは万物の父である」 古代ギリシャの哲学者ヘラクライトスの言葉です。 彼は「存在する」という万物の本質を「空間や構成要素の奪い合い」つまり戦いと解釈し、万象を陰陽や男女といった対立概念で説明した人です。 しかし、彼は決して酷薄な考え方をしたわけではありませんでした。何故なら、彼の言う戦いは、相対する存在を断滅する事だけではないからです。 彼は、対立概念が共倒れしない理由として「調和」というあり方を提唱しました。対立概念が居場所を取り合って争ううちに譲歩の仕方を学び、釣り合いを取るというあり方です。それは、片方が死滅するまで終わらぬ死闘ではなく、鎬を削りながらも相手を尊重する世界一優しい戦いです。 私は、生命の本質に抗う自分を戦士として鼓舞し、死という選択肢がありながらその恐怖に屈する人々や頑なに生を説い続ける皆さんに辟易していました。そうしていれば、生に抗う自身が特別に見えたからです。 しかし、存在することは戦うことだと説くこの格言を言い換えるとこう表せます。 人間は生きるだけで戦士である、と。 生に屈したと思われた人たち、生を説く皆様は死に抗っていました。戦う相手、戦い方が違うだけの戦士だったのです。 仏道を進む皆様はことさらに凄い。不完全な自身を抹殺対象ではなく研鑽の相手として受け入れた上、他人に寄り添って共に戦っています。自分を殺そうとした私と違い誰も殺そうとしない。 世界一優しい戦士だったのです。 私は戦い方を間違えていました。今やるべきことは死を恐れて理想から遠ざかる自身を受け入れ、研鑽し続けることです。 前置きが長くなり申し訳ありません。 私は皆さんのように、万象と調和する戦い方をしたいです。 世界一優しい戦い方の心得を教えて下さい。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

希死念慮がなくなりません。

相談失礼します。 私は23歳の男です。 中学生に入ったくらいの頃から自分の心と体の性別になんとなく違和感を覚えるようになりました。それは歳をとるごとに増し、今現在の心の割合は男3女7くらいです。 やはり大人になるにつれ心とは裏腹に段々と男らしい体になっていき、いつしか自分の男の身体に強烈な嫌悪感を覚えるようになりました。最近ではなんとなく髪も薄くなったような気がして、自分が男だということを突きつけられたような気がして余計に気持ち悪く、精神的にも参っています。 母には相談でき、そのことも理解してくれますが、いくら母に相談したところで身体が男ということが変わるわけではありません。 性転換手術を受けてもガタイが良く、体毛も濃く、濃い目の顔なので女性にはなりきれません。 もうこの先生きていくのが辛く、自殺を考えています。母にも自殺のことを相談しましたが、本気だと思っていないらしく、毎回「それだけはやめて。」とだけ言われ、受け流されます。 これから先もこの男の体で生きていくのは無理です。生きるのが怖いんです。未来という途方も無い時間に足がすくんで進めそうに無いんです。 今まで真面目に優しい人であろうと生きてきたつもりです。なぜ私はこんな辛い思いをしなければならないのでしょうか?私は何が悪いことでもしたのでしょうか? そして、自殺はいけないことなのでしょうか? 情けない話ですみません。 長文乱文失礼しました。

有り難し有り難し 22
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