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愛犬の死と主人との溝

回答数回答 2
有り難し有り難し 6

一ヶ月前に家族同様に暮らしてきた愛犬が亡くなりました。 病気でしたが6才と若さだったので 今だに 悲しく寂しく涙が溢れでてきます。あの子は幸せだったろうかと後悔ばかりしています。
このような状態で毎日過ごすのは いけないと頭の中では 分かっていますが、感情のほうが先だってしまいます。このような時に 元々必要な事以外は あまり話す事のない主人との心の溝が 一気に開いてしまいました。
小さな事の積み重ねで
主人と出かけるとかふたりで たわいのない話をするとかがなくなり
いつのまにか 主人には言うと逆に不機嫌になる言葉があり(普通の人にはなぜ?と思うような事です)
気をつけていたのですが うっかり言ってしまい今は 二人でリビングにいるということもなくなりました。
あの子が接着剤になっていてくれたのだと思えてなりません。私は 主人に心が開けません。このような私に 何かお話聞かせて下さい。
よろしくお願いします


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夫婦として再出発

これまで愛犬中心の生活だったかも知れません。心の大部分が愛犬に向けられていたのでは。今、愛情を注ぐ相手が去り、再び家族に心を向けたら旦那さんの心がますます遠ざかっていた。

夫婦としてやり直して欲しい。

見るに見かねた愛犬の、命をかけた願いがその死に込められているのだと思います。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

一緒にテレビドラマを見ましょう

テレビを一緒に見ていると、あまり会話してなくても無音じゃないし、共通の話題もできるのではないでしょうか。
めげずに笑顔で話しかけましょう。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

ありがとうございました。
命をかけた願い そうなのかもしれません。
涙が 溢れます。頭の中では理解できます。
でも きっと仲良くはなれないかもしれません
あの子が家族になる前から 広がっていた溝です。 でも あの子の願いが叶うように 少しずつ努力してみます。
ありがとうございました。

ありがとうございます
私の冷めきってしまった心を 何とか元に戻すように あの子の供養になると信じて努力し
てみます。
ありがとうございました。

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