どうして宗派ごとに数珠や合掌の種類が違うの?
いつもお世話になっております。
今日も今日とて仕事帰りに祈願寺に行ったのですが、いつも使って
いる浄土宗の二連念珠を忘れ、急遽祈願寺で購入しました。
祈願寺は真言宗、使用するのは百八念珠です。
浄土宗とは数珠の形式、合掌の組み方も違います。
真言宗の念珠なので、それに準ずる掛け方の方がいいと判断し
修験の先生から掛け方をお教えいただきました。
よく考えたらこれもすごいですよねw真言宗は原則徒弟制らしい
ですが、浄土宗の信徒が修験行者さんから直々に教わるって。
そこで思ったのですが、
なぜ宗派ごとに数珠や合掌の形が違うのでしょうか?
堅実心合掌で慣れてしまっているせいかなんだかしっくり
きませんでした…笑
ちなみに祈願寺の宗派は金剛合掌です。
教えていただければさいわいです。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
数珠は本来数を数えるもの。
数珠というのは、そもそもが数を数えるものです。
真言宗の寺院で購入されたということは、おそらく7つ目の玉の次と、21個目の玉の次が小さくなっていませんか?両房にも10個ずつ玉がついていると思います。
数珠は、インドで真言(マントラ)を何度も繰り返し唱えるとき、その数を数えるごとに爪繰っていました。現在でも、真言宗や天台宗などでは、行法や祈祷の際に阿闍梨が数百編から1000遍以上も真言をお唱えするので、そのカウンターとして用いるんです。
一周回るように爪繰るのではなく、どちらか一方を行ったり来たり爪繰ります。一往復で108ですが、これを100と数えます。(8は予備です。)
両房にも玉が10ずつありますね。それは、100唱えると、片方の房の玉をひとつ動かします。それが10玉なので、1000遍。1000遍唱えると、反対側の房の玉をひとつ動かす。それをくりかえせば、数珠一つで一万遍まで唱えることができるのです!
また、数珠を摺るのは、お経の前後の合図でもあり、同時にこの真言によって煩悩をすりつぶすという意味もあります。
また、片方一辺は衆生界、もう片方は仏界をあらわします。ちなみに弘法大師の御影(肖像画)は、片側だけをくるっと巻いて握っています。これは、仏界は救う必要がないので、衆生界のほうだけを救うためにこれを握っているんです。
このように、数珠は単なる飾りではありませんが、最近の腕輪念珠のようにお守りとして持っているのも、僕はありだと思っています。安心(あんじん)を得られるのであれば、それに越したことはありません!
しかし、せっかく購入されたのですから、今後お参りの時に、ぜひとも数を数える道具として使ってみてはいかがでしょうか?
※ここでは写真が掲載できませんでしたので、私のブログにて写真付きの解説を掲載します。
いまから写真を撮りながら書くので一時間後くらいになりますが、お時間があればご確認ください。笑
追記2月21日 宗派ごとの歴史・文化。
浄土宗で使われている二連の数珠は、法然さんのお弟子さんの阿波乃介という人が考案したものです。
念仏を数えるとき、片方の輪が一周したらもう片方の輪の珠を一つずらす、という使い方です。
たくさんの念仏を数える場合、便利なのです。
宗派それぞれ、長年の歴史で形成された文化がありますから、違いもありますね。
追記2月21日
法然さんが、二連数珠を考案した阿波乃介を褒めたという記録があります。
質問者からのお礼
【不悪口院 恵成 先生】
ご回答ありがとうございます。あの…ブログ見れないんですけど…
いまお大師様の像を調べたんですが108念珠でいうところの片方とは、4つの天玉?
のついていない、逆側の親玉の側のようですね…そしてさっそく念仏やってみました。
腕輪念珠、私も持ってます!我が本山で受けた、阿弥陀様の入っているものです。
【願誉浄史 先生】
ご回答ありがとうございます。そうですね…浄土宗は念仏いっぱいお称えするのがお行
なんですよね!そういえば法然上人の御影は108念珠をお持ちですね。
あの肖像が作成された当時はまだ考案されていなかったんでしょうか…
【願誉浄史 先生】
ご追伸ありがとうございます。やっぱりあの後だったんですね!
【不悪口院 恵成 先生】
先生すみません!ブログ拝見しました。今日は仕事オフなので早速これで別時念仏
やってみます。ありがとうございます!!