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回答数回答 1
有り難し有り難し 22

いつもお世話になっております。
不妊の相談から名付けまで
今までたくさんの方々に相談にのってもらい、
助けてもらいました。

先日、無事出産し母子ともに健康です!
やっと母になれたと実感し
なれない子育てに毎日バタバタしてます。
里帰りしてないので主人に家事を任せ
私は子育てに専念させてもらってます!

名付けも夫婦で決めた名前にしました。

なかなか寝れない日もありますが
我が子のためなら頑張れます!

本当に今までありがとうございました!
たくさん支えてもらいました。
また、子育てに迷ったら相談させてください。
皆様の言葉で何回も救われました。
本当にありがとうございました。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お幸せに。また、安穏に。

心の安らかなることは最高の宝です。
今までも心の浮き沈み、山あり谷あり、川あり滝あり、今後もあるかもしれませんが今はありません。
今ないことは今騒がなくていいのです。
今までのあなたの心の不安やご質問を振り返ってみましょう。
心というものはその時そう思ったものを絶対に真実だと思ったでしょう。そう錯覚されたはずです。それがあなたの煩悩苦しみの根源なのです。
あの時は全体に駄目だ、許せない、我慢の限界だと思った。そう結論付けた。ところが、今どうでしょうか。「あの時はそう覆えただけ」ということではないでしょうか。
それが、人間を苦しめている心の作用なのです。
「ああ、わたしは思ったことで自分の心を染めさせていた」と思ってみましょう。
思ったことに染まると、それが永遠のカラー、染まりっぱなしであると思うものでしょう。
ところが実際のところはどうでしょう。
そんなことは微塵もミジンコほども染まっていません。
子どもの遊び道具でマグネット、磁石でお絵かきができるおもちゃがあります。
何度かいても何度かいてもすぐに消せます。
心も同じく、何をスクリーンに描いてもそれに染まりません。
その決して染まることが無いということを今回、よーく熟考してみてください。
今まで、心が騒いできたことがいつかばかばかしくさえなります。
今後の人生でその自身の思い、一念に支配されないためにもこのような仏が明らかにされた心の仕組み、心のメカニズム、心のありようを学んで、自分の思いの浮き沈みや思いの影響による振り回されに騙されないようにしてなっていってください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お礼が遅くなりすみません。
素敵な御言葉ありがとうございます!
この言葉を励みにこれから頑張っていきたいです!
本当にありがとうございました。

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