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何かにつけて裏目にでてしまいます。

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有り難し有り難し 53

いつもお世話になっています。

どうしたものか本当に何かにつけて裏目に出てしまいます。
反省と学びの繰り返しの中、気をつけていても判断ミスをしてしまったり、よかれと思ったことが空回りしてしまい、結果的には最悪な事になったり裏目裏目にでてしまいます。
今年は何かとそのような時が多くてツイてない事が多いです。
自分も学習が足りないのかもしれないけど、何をやっても選んでも、ハズレになったりするのでいよいよ心労で疲れています。
どうして何かにつけて選ぶことが良くない事に繋がるのか。。こんな時期は初めてなので困っています。
こんなにやたらと裏目に出ることや、判断ミスばかりなのが怖い位です。
やることなすこと、話すこと含め、失敗続きです。
口は災いの門というのも痛感してます。
後から気づくパターンばかりで嫌になります。
今年は数え切れない程、失敗や判断ミス、墓穴を掘るようなことや裏目に出る事ばかりで疲れます。辛いです。
こういう時はどういう意味があるのでしょうか。
こういう時はどう過ごすべきなのでしょうか。
もう今年も今月で終わりなのに裏目裏目の連続で本当に疲れています。
同じような失敗も多くて愕然とします。
失敗しては学習して失敗しては学習して、、で賢く生きれず辛いです>_<
そんな時に限って嫌な出来事が続いたりします。
今は何をやってもうまくいかない、自ら失敗してしまうような時期なのでしょうか。
お時間ありましたら僧侶の方のご意見を聞きたいです。
厳しいご意見でも良いです。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それは本当は裏目ではない

それは裏目ではないのです。
その通りに事が起こったのです。
ただ単に、あなたの狙い通りに行かんかったという事なだけでしょう。
また、あなたの事前設定、狙いどころ、高得点獲得願望、期待が強すぎただけのこと。
実質を見ましょう。
アタマのビジョンを先立てするのを控えましょう。
仮に失敗しても、それがそうあっただけだと見てみましょう。
あなたはそこに私見を持ち込み過ぎるから、普通の人の2倍、3倍凹むのです。
状況は変わらないのに、捉え方が悪い人はいたずらに苦しむ。
状況は変わらないのであれば、火に油を注がないことです。
火に油とは、自分の思い、評価、悪い解釈のこと。
あなたがやっているのはいつも火に油なのです。
その火は、火で、それ以上でもそれ以下でもない。裏目も表もない。
そこに要らぬコメントを注がないで見ることです。
お礼欄でも「ああ、だから私ダメなんですよね」とか絶対にネガティブな事を書かない様に!
それがあなたの火に油の正体なのだから。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

不動

言動が裏目にでるならば
言わぬ動かぬと決めてしまいましょう。
不動ならば裏も表も出ません。
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自分で判断しない、口数を減らす、行動はワンパターン化する。
地味で暗くなりますが被害は最小限に抑えることができましょう。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

四次元さん
アドバイスありがうございます。
確かにそのようにすれば被害は少なくなりそうです。
しばらくは自分を慎んで被害を少なくするよう心掛けます。
今の自分にとって必要な助言をどうもありがとうございました。
私にとってとても良い気づきでした。
有り難いお言葉を本当にありがとうございました。

丹下さん
いつもアドバイスありがとうございます。
今回はきっと今までの中でも厳しくお言葉を頂きました。
自分自身の悩み癖なども指摘されました。
正直、ハッとしました。
丹下さん、本当にありがとうございます。
確かに火に油を注いでいました。
今後は火に油を注がないように、今回いただいた言葉を心に絶対に頑張ります。
いつか御礼参りに行けるように頑張ります。
いつも明るい心を目指します。
本当にありがとうございました。

今回も僧侶の方々に的確なアドバイスを頂きました。
四次元さん、丹下さんの言葉でまた悩んでいた心が救われました。
同じ繰り返しにならないように頑張ります。

本当にありがとうございました。

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