どうしたら生きていていいと思えるか
現在既卒で就職活動をしているニートです。
文章を書くのが弱くて読みづらくてすみません。
今までの人生を振り返ると、
小さい頃から死にたい消えたいと思っていました。
高校入学まで周りの大人が敷いてくれたレールを疑わずに歩いてきました。
次の進学先で親と揉めたことで、自分の心が完全に消えてしまったような気がします。結局実家から通える何の努力もせずに入れる大学に通いました。
4年間掛けても自分はこんなとこに居るはずじゃなかったと受け入れることが出来ませんでした。
いよいよ就活になって自分を見失った状態で上手くいくはずもなく、現在に至ります。
必要とされるより不必要とされたい。
他者からの期待されるのがつらい。
本当は20歳になるまでに死のうってそれだけは決めたのに、決めていたはずなのにまだ生きていることで自分の考えていた人生からも外れて何をしたらいいのか分かりません。
もう何がつらくて泣いているのかも分からないけど涙が止まらない日が続いています。
自分の存在を自分で認められない、もうやり直せない人生なら死んだ方がマシだと思っています。
結局書き出してみたところで何に悩んでいるのかすら分かりません。ただ誰かに何でもいいから聞いて欲しかっただけかもしれません
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させて頂きました。あなたが今何の為に生きているのかわからない、目的も意味も見出せずにお悩みなさっていらっしゃることを読ませて頂きました。あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
そもそも私達は不思議な沢山の方々とのご縁に恵まれてこの世に生を受けて生きています。そしてそれぞれに意味があり、役割もあるのです。また生きていく中で生きる意味や価値や目的を見いだしていくのです。
それはそう簡単にではないと思います。逆に自分の一生をかけて見つけ出していくことかとも思います。
人生ですからうまくいかないことの方が圧倒的に多いですけれどもその中で自分のペースで見つけていくのかと思います。
今までは周りの人たちから決められたり与えられたりしてきたでしょうけれどもこれからはあなた自身がじっくりと自分の人生を見つめながら様々な選択肢の中から検討なさり判断なさり選んでいくのです。
あなたにはそのような能力が備わっているのですからね。あなたが気がつかないだけかと思います。
あわてる必要はありません。もう一度じっくりと見つめなおしてみてあなた自身のお考えの中で判断なさりながらどうかご自分の人生を歩んでいって下さい。
あなたがこれからの未来をご自分で判断なさりながら健やかに成長なさっていかれ充実した毎日を過ごしていかれますようにと心よりお祈り申し上げます。
ポテサラの存在意義も、、
ポテサラ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
自分の存在が何であるのかを知る、自分という存在を自分で認めるためには、他に依らなければならないものとなります。
先ほどに回答させて頂きました内容の例と同じとなりますが、包丁は、包丁自身を切ることができないものであります。
でも、他という切るものがあって、やっと包丁は包丁としての意味、役割を担うことができているのであります。
ポテサラもそうです。誰も食べなければ、ただの塊としてだけの、やがてゴミとなってしまうような存在です。食べてくれる他がいてこそ、ポテサラはポテサラとしての役割を果たすことができるのであります。
そのように、全てのものは、他というものがあってこそ、そのものの存在が成り立っているのであります。
自分を認められるようになるためには、何より他との関係をより善いものとしていくことが大切となって参ります。
全ては、他としての因縁(原因と条件)次第にて変わりゆくもの。
善き因縁(原因と条件)を調えるための方法はいくらでもあります。もちろん、仏教の中にも。
過去の因縁はもはや変えることはできませんが、これからの因縁はいくらでも自分の意思次第にて変えていけることができます。
やり直せないことはありません。変わりたいと思い立った今からが、まさに勝負となります。
川口英俊 合掌