身勝手な自分
先月、3人目を中絶しました。私は産みたかった。しかし、妊娠と聞いて浮かない顔の主人と今後どうするか話合った結果、中絶する決断に至りました。主人は2年前に仕事を独立し、まだ収入に波がありました。実際1月には家賃や健康保険料を支払うお金が用意出来なくて、主人の実家にお金を借りる事になりました。子供が病気になっても病院にも行けないかもしれない、その状態で3人を育てられるか、とてつもない不安が私を襲いました。もちろん毎月苦しい訳でも無いだろうし、数年後には仕事も上手くいくかもしれない、けれどもその賭けに子供を犠牲にしたくなかった。不安に負け、中絶しました。中絶すると決めてから、今まで、毎日涙がこぼれます。申し訳無かった。弱い母親で。どうしても産みたいと言えなかった。
手術後、両家の母は、私を励ましてくれました。私の体を気遣いました。母とは、どんな時も子供を心配するものなんだと、母の愛に気付きました。親になるとは、そういうものなんだと、小さな命に教えてもらいました。命を繋いできた先祖に申し訳無いと思いました。
これ以上お腹の子が苦しい、寒い思いをしないよう、愛で包んでやってくださいと供養もしました。
小さな命が、親が、子供が私を母親にしてくれている、生かされているんだと言うことを気付かせてくれました。
私はお腹の子に何もしてやれなかった。もっと、私のお腹に居たかっただろうに。あの子に大きな愛を教えて貰ったのに。私は何もしてやれなかった。
会いたいです。あの子に会いたい。
毎日お腹の子の事を思います。
仏様に、先祖に抱きしめてやって下さいと願ってしまいます。
私は何も出来なかった。
今いる2人の子を愛し、その子達が自立し、地に足を着けて生きていけるまで親としての責任を全うする事が償いだと思っていますが、やはり、お腹の子がそれで浮かばれるのか、自分勝手な考え方じゃ無いのか、毎日考えてしまいます。
前に進もうとしては、罪悪感にかられ、子供の前でも泣き崩れてしまいます。
泣いてばかりいてはダメなのは分かっています。この行為も自分を守る為だと情けなく思ってしまいます。
前に進んでは、また後退し、また頑張ろうと思っては止まりの繰り返しです。
私は弱い母親です。
何か一言頂ければ幸いです。
宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの大切な気持ちを話してくださり、ありがとう。
そぅ。。。この世、生きていくということは、簡単なことではないですよね。
僧侶として、母として、私だって あなたを責めたり出来ない。
いっぱい考えて悩んで、今も苦しんでいる あなたを、そっと抱きしめてあげたいです。
命ある限り、手を合わせていきましょう。
そして、いつか、お子さんにも、あなた達と同じように愛した命があったことを伝えてあげて。先に仏さまになった 私たちの大事な命が存在したことを、多くの命(先祖)に見守られて今があることを。
命の問いは、生きる力になります。
そうして、人間は、いろんなものを背負い、大事にしながら生きていくのですから。
そう想い生きることで、あの子は心の中に居続けてくれますよ。
ありがとうと、手を合わせていきましょうね。
あなたの大切な気持ちを話してくださり、ありがとう。
私も一緒に、あの子を想い、手を合わせますね。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
あの子に沢山の大切な事を教えて貰い、ありがとうと言いたいです。
でも今はごめんねしか言えないです。
いつか、母にしてくれてありがとうと前向きに伝えたいです。
命を殺した私に優しい言葉をかけてくださりありがとうございます。