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怒ってる?機嫌悪い?

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有り難し有り難し 21

お世話になります。

ホームセンター勤務です。
接客意外にもやる事が日々多い職場です。
担当部門は一人で見ています。

本部、現場の連携が非常に悪く、怒ってる?
機嫌悪い?と言われます。

そう思わせてしまう自分が悪いと言われる日々です。

毎月退職者が出る職場です。

いままで黙々と仕事してきましたが、だんだん気力がなくなり空回りの日々です。

周囲と自分は違うようです。

この先どうしていいのか悩んでいます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自宅で鏡を見て、ニコニコする練習をしましょう。
職場の人と話すときは、意識的に必ずニコニコしながら。
たとえ気持ちはそうでなくても。
必要なのは、きっとそれだけです。

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僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、オセアニア、中東、タイ、バングラデシュで活動する指圧師、作家、音楽家。タオサンガ・インターナショナル代表。京都浄土宗和田寺の僧侶。タオ療法、タオ指圧、気心道の創始者。著書は数カ国語に翻訳され世界各地で出版されている。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%96%A8%E5%8F%8A が実は、元家出少年です。ティーンエイジャーの頃は、徹底的に自己破壊的な行動を繰り返し、高校も2つ中退しています。現在は、浄土宗和田寺の住職で、一般の人が気軽に修行できる場として、京都と東京に道場を作りました。(道場はその他、世界各地にもあります) なので、修行したい方、人のために涙する方、楽しいことが好きな方はぜひ来て来てください。あなたを歓迎します。 ※毎週、法話を配信しています。書き起こされた法話は、下記でご覧いただくことができます。 http://taosangha.com

問いかけられていることは 怒っている?不機嫌?ではないかと

正直、しんどいのではないですか?
それが顔にでる。
笑顔とは真逆な顔になる。
そうすると周りに人からは「怒ってる?」「機嫌悪い?」になるのではないでしょうか。
そのためにイイ方法を。
自分と話すのをやめにすることです。
相手と話しているようでも、そこで自分の想念と話していませんか?
・あの人はきっとこう思っているのではないか。
・あの人がわたしを害しているような気がする。
・あの人が私にとって邪魔な存在である。
それは、事実をちゃんと見ている生き方ではありません。
気遣いが多い人ほど人間関係はくるしいものです。
ここでいう気遣いとは、余分なはからい。
相手に対して、アリもしないことを心の中で想起させ、その思いに苦しめられるのです。
自分の思いとしゃべるのをやめてみませんか。
ちゃんと現場でその時だけ、リアルタイムの相手とだけ対話すればよいのではないです。
自分の思いの陰に築いてください。
自分の思いの中のいない相手に気づいてください。
いない相手とは、現実に存在する肉身の相手ではない、自分の中のイメージ上の相手です。
これを多くの人はしらず混同させてしまっているそうです。
ここをハッキリさせれば人間関係はライトなものになります。坐禅会にお越しください。年末出血大サービスでタダでいいですよ(^<^)。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

和顔愛語

たちばなは、魔除けの木だと、言われます。

大変な職場ですね。本当に、頑張っておみえですね。

コップの水も、入れすぎると、あふれてしまいます。

いちど、水を、ぶちまけるのも良いかもしれません。

もっともっと、肩の力を抜いても、大丈夫ですよ。

あえて、笑顔を作る様にしてはいかがでしょうか。

人間の脳は実は結構単純です。

辛い時、苦しい時ほど、『 笑え 』と、言いますが。

そんな時、笑顔でいたり、笑う様にすると、脳は、本当に 楽しい と、勘違いするそうです。

脳を、想い込ませるのです。

あら不思議、作り笑いでも、演技の笑いでも、いつの間にか、幸せになります。

是非、だまされたと思って、ためしてください。

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ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市 の 大法寺 の住職をしております。 大法寺は、代々尼僧寺院であり、苦しんでいる女性を救い 「 おわりはじまりのてら 」 「 尾張の駆け込み寺 」と、呼ばれておりました。 白龍が住んでいると言われている、樹齢650年の大楠の元に、倶利伽羅不動明王の祠が有ります。 その宝剣で、悪い縁を切って下さると言われ、『 悪縁切り供養 』をしています。 病気、人間関係、依存症、自分の中の悪い想いを 切って下さいます。 縁切りの絵馬に、切りたい縁を書き込み、縁切りのお護りを授与しております。 是非、お参りください。 『 命の相談会 』 を、開催しております。 胸の中にあるもの、だれにも言えない事を、全て吐き出しましょう。 一緒に泣きましょう、一緒に叫びましょう、一緒に笑いましょう。 自坊、ショッピングモール、赤十字血液センター、カフェ、放送局、等で 定期的に行なっております。 日程は、ホームページで、確認してください。 ホームページ www.daihouji.org 『 樹木葬 大法寺 』 『 縁切り 大法寺 』 で検索してください。 緊急の場合 苦しかったら、辛かったら、電話ください、 09066179353

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