縁とは何なのでしょうか
初めまして。
私は今までの人生で素晴らしい人達と出会いました。
様々な生き方や考え方を学ばせて頂きました。
しかし、今その素晴らしい方達とは一緒に居ません。
どの方とも長いご縁にはなりませんでした。
原因を考えてみると「こうあるべき」と語られるような
一般的な、情のあるお付き合いが自分には出来ないからです。
人付き合いの方法は分かるのですが最終的に粗が出てしまいます。
心で嘘をついているのに、表面だけ取り繕うのは
相手に失礼な事だと考えました。
自分と同じ気質の人間をよく見かけますが、
私も一人の方が気楽と感じる人間の一人なのだと思います。
私はどうしても余計なアドバイスを他人様にしてしまいがちです。
人が大勢集まると必ず揉め事が生じます。それが耐えられません。
暗い時間を他人と共有することが苦手です。
根本的には人間が嫌いにはなりませんでした。
私は自分自身に未熟な部分が多く、他者の未熟さを
受容する能力にとても欠けています。
人との深い繋がりを望んでいないというのもあります。
一期一会の楽しい関係、または真剣な関係が好きです。
現在は仕事も生活環境も一人で過ごす事の多い状況に
なりつつあります。
友達を作ろうと思えば自分から進んで作ることが出来ます。
依存関係・寂しいという感覚は自分にはよく分かりません。
趣味が合うなどの、目的がある関係が好きです。
文才がなく、うまく表現できないのですが
出会うことと別れることを短期的に繰り返していくと
ある時から感覚が変わってきました。
思考が煮詰まってくると不思議と
「縁」という言葉が浮かんで来ます。
以前の私は「縁」とは「円」という意味で考えていました。
「円満」と言う意味の円で人間関係はまるく穏やかで
あるべきという考え方だったように思います。
それもインターネットで検索して、最初に出てきた
ページから得た知識だったと記憶しています。
縁とは何なのでしょうか。
背景を説明したつもりで書きましたが、私という人間への理解を
求めるような書き方になっていたら申し訳ございません。
調べれば分かるような内容なのかもしれませんが
私自身が現在、どなたかに質問をすることに意味を感じています。
ご回答いただけますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「縁」について
takase様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「縁」とは、ニュートラルに考えますと、結果へと至るために必要な「条件」、つまり、「間接的原因」のこととなります。
モノ・コトは、直接的原因と条件の縁、つまり、「因縁」により成り立っているということになります。
善き因縁を調えることができれば、善き結果を迎えることも可能となります。
私たちの場合では、例えば、強い動機(決意)と行動(条件を満たしていくこと)となりますでしょうか。。
更には、しかるべき望む結果が出ないとなれば、やはり、十分な因縁が調っておらず、何かが足りないということとなります。
その足りない中には、外部要因や環境要因など、自分ではどうしょうもできないものも当然にありますし、他の助けをどうしても借りなければならないこともございます。
ですので、人間関係というものにおいては、お互い様、お陰様の気持ちにて、他との助け合い、支え合い、分かち合いが大切なことになるのであります。
仏教的には、「縁」により成り立っていることをよく理解して、「我」をできるだけ少なくしていくことが求められるものとなって参ります。
難しくには、「縁起」に基づく、「空」(無実体)の見解を理解して、「我執」(実体への執着)を滅ぼすというところが必要となってなります。
是非、仏教における「縁起」や「空」ということについても学びを進めて頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
川口 英俊 様
初めまして。takaseと申します。
この度はご回答をありがとうございました。
感謝の気持ちが強く、良いお礼の言葉が見つかりません。
今までご縁のあった方とは、意図した・していないに
関わらず目的と結果のある出会いでした。
どのような方でも私を助けてくださったので
生きている間に、なんとしてでも
お返ししていきたいと考えています。
「我」についても以前より気になっており
お言葉を頂いて自省するきっかけとなりました。
川口様の言葉が、スッと心に落ちてくる感覚がありました。
まだ自分には早い内容ではないかと思うのですが
これから「縁起」や「空」について自分から
学んで行くつもりです。
助けてくださって、ありがとうございました。