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毎日むなしいです。どうしましょう

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有り難し有り難し 11

一年前から父と二人暮らしを始めたのですが、とにかく父が嫌いなので家にいても疲れます。眠っても良くない夢を見ます。父が仕事の間、老犬の介護をしているので、離れて暮らすことはまだしばらくは無理です(恐らく私は犬の介護のために引き取られたのでしょう)。

浪人生なので、日中は図書館などに行きたいのですが、目を離すと犬が家を汚すので実質引きこもりです。焦りと劣等感がいつの間にか怒りになって、辛くて眠ってしまいます。眠りすぎだと怒られます。
過食嘔吐や潔癖が酷くなり、情け無さすぎて言葉がありません。馬鹿馬鹿しいとすら思っています。

家が自分の家ではないみたいで、寄る辺ない気分が一日中続きます。緊張感が絶えず非常に疲れます。最近は家にいるのが苦痛で、どこか遠くに行きたいと思ってしまいます。とにかく「ここではないどこか」です。でも、ここにないならどこにもないのでしょうね。そういう考えのときはとても空しいです。
友人に話すと自殺前のサラリーマンみたいだと言われました。なるほどなと思います。自殺の意思はありませんが、納得したので段ボールを買って部屋の片付けを始めました。

どうすれば良いのかわかりません。「ここではないどこか」を探す若者が物理的な旅行をすることもあるようですが、私はそうしたいとは思いません。どちらかと言えば、どこでも良いならここでも良い、という感覚が欲しいです。
嫌だろうがなんだろうが、今いるまさしくここだけが私の居場所で、嫌ならば明日どうにかすればいいのです。今はここにいる。私は今ここにいるという実感が欲しいのです。どうすれば良いのかわかりません。

まとまりのない文章で申し訳ありません。単に睡眠の質が悪く疲れているだけかも知れませんが、一度こういったところに投稿してみたいと思ったので...。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ここは変化します。目の前にあることを・・

拝読いたしました。

むらさきさんの相談文を読んでいて自然に「う~ん」とうなり声をあげていました。

私は、寺に生まれ、寺で育ち住職になり「ここ」にいましたが、子供の頃から「ここではないどこか」を探していたのだと思います。
虚しい事です。
「俺の居場所」はこの寺ではなかったのだと思います。

むらさきさんの言葉で・・・
40を越えようやく「ここ」が「どこか」になりつつあるんだなと気付かされました。

不思議です。
私が今座りながらパソコンをたたいている場所は、前と変わらず同じ場所なのに「どこか」になりつつあるのです。

私は”自分探しの旅””に”出かけた派ですが、人との出会いを通し「どこか」は旅先にあると感じたものの、それはその瞬間のものです。

「どこか」は、探そうとしても見つかりません。
今できる事をこなし、そしてその後の生き方により「どこか」にたどり着けるのだと思います。

それが、自ら見つけただろう場所であったとしても、それはあなたの意志ではなく、仏さまに導かれた「どこか」

かといって、お寺や神社に神頼みという、そんな解決法ではありません。

今、目の前にあること。
あなたの場合、勉強とわんこのお世話です。
それに、意識を向けて下さい。

幸せを求めて行動しても、幸せにはなれません。
どんな壁にぶつかっても、今の事をしっかりとこなせる人こそが、将来幸福を得ます。

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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。

やはり「どこか探し」「自分探し」は多くの人が経験するものですね。
「ここ」を「どこか」にするためには、目の前のことに身を入れて取り組むことが必要なのですね。

私の意思ではなく、仏様に導かれてたどり着く。
あるものがあるように、私も行くべき場所に行くのでしょうか。

今あることを大切に、

すみません、途中で送信してしまいました...。

今あることを大切に、しっかりとこなしていきたいです。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ