空虚な気持ちについて
妻と死別して1年3ヶ月になります。
今年の夏まではいろいろな手続や、仕事においてはメンタル疾患の部下への対応、遠方への転勤による新しい生活や業務などで、深い悲しみも少しずつ消化されていくのかなと思いながら、時には仏教の本など読みながら過ごしてきました。
ところが、新しい土地や仕事にも慣れたところ、死別した時のような喪失感や孤独な気持ちでいっぱいになってきました。忙しくするために複数の地元サークルに入ったり、英会話、ボランティアなどに参加して人と交流も心掛けているのですが、まったく楽しくなく空虚な気持ちでいます。コロナ禍も収束し、親睦会などで市街地の賑わいを感じますがこれも寂しくなってしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
説得されるより体感して欲しいです
こんにちは。ここは言葉で仏教的視点を伝える場ですので、どこまで行ってもテキストでしかありません。しかし、これだけの数の問答があっても尚「過去問ググれ」にならないのは、ことが「一人一人の体験上の問題」であるからです。
なんとなく仏教を学ばれている、その勘は悪くないと思います。私も子どもの頃から「教え」には接していますが、血肉となってきた(ことの自覚が生じている)のはここ10年程度ではないか、と思います。
日本では宗派の色が強いですが、いずれも何らかの実践を伴うことで生活に使っています。「なるほどね」とイイ話を聞いたとしても、使わなければ翌日には半分忘れているのが人間です。ということで、仏教の基本的な世界観やそれを現実に落とし込むこと、そして縁のありそうな何らかの修行(分かりやすくは実技、でしょうか)を体験されることをお勧めします。
神秘体験とかじゃありません。仏教という理屈や仮説を、今味わっている世界に当てはめてみてください。血肉化はそこから始まると思います。
追記
こんにちは。「お礼」欄の書き込み拝読いたしました。確かに私の回答はチグハグなものでありました。 私も改めて質問を読ませていただいた所、「〜をしてきました」という経緯のご報告と、現在の心境を語られているだけでしたね。求められてもいないのに、しゃしゃり出てしまったようで、申し訳ありません。ただただお気持ちを受け止めさせていただきます。コレコレをしたいのだ、コレコレを知りたい・分からないといったお気持ちが出てくるまで、お待ちしております。
質問者からのお礼
ご回答いただきありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありません。
いただいた回答を何度か読み返しましたが、私が理解するには少し難しい内容でした。
質問の前には過去もググっておりますが、殆どは「亡くなった方は見守っていてくださる。自分が死んだときにはお浄土で再開できる」ような内容であり、実際は時を待つしかないのかなと感じました。仏教の実践ということで、瞑想、聴聞やお経を読み書きなどあろうかと思いますが、これも時の経過を待つしかないように感じます。