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あるのでしょうか?

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生霊 幽霊 厄年に悪い事が起こるとか
本当にあるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

霊とは内なる働き

生霊とはあなたと他者との良好ならざる人間関係。
怨まれたり、嫌われたり、あなたが相手を嫌ったり、機嫌が悪くなったりすることがあるでしょう。
それを生霊というのですよ。
幽霊とはあなたの心に憑りついた負の思い、憂い、苦しみ、哀しみ…
すでに取りつかれているでしょう?
そういう不安な思いをこそ幽霊と言わずして他のどこにあるのでしょうか?
厄年とは古来の人間たちの感性から見出された、男女その年その年の体力気力の衰えの節目。
その気力の衰えや乱れ故に、不運が生じやすくなる。
だから、お寺でご祈祷してもらって、先祖や神仏の存在や働き、あなたとのかかわりを感じ、乱れを無くすのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

二つのことをお尋ねですが

幽霊等は仏教では餓鬼道の一種と考えますので、存在することになります。六道とか五道とかを輪廻するという考え方がありますので、詳しいことはそれらをお調べください。

厄年という考えは仏教ではとりません。前厄と後厄を含めた三年間に何か悪いことがあれば、「あぁ、やっぱり」となりますが、それは後出しじゃんけんみたいなものです。意味はありません。

ところで、まったく関係ない話ですが、私と一緒に研究発表をしたことがあるデヴィッド・キヨシ・アベという研究者がいます。彼は彼の生地であるハワイ、コナ地方のコーヒー・ベルトを主なフィールドにしている文化人類学者です。彼によると、この地方を含め、ハワイの日系人はよく四十二歳の厄年にあたる人が盛大なパーティーを行うそうです。厄払いは神道の行事ですが、戦時期に米政府により神社が破壊されたため、お寺で厄払いのパーティーを行うのだそうです。面白いには、厄払いのパーティーは一世の時期からずっと行われていたのではなく、いつ頃か知らないうちに定着化した行事であることです。

アベによると、厄払いを出汁にしてみんなで楽しむ、ということのようです。厄年については、あまり深く考えず習俗として楽しまれては如何でしょう。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な者ではありません。むしろその逆で、しょっちゅう周りの方々にお尋ねして、教えてもらって生きています。質問について考え、答えようと悩むことで私自身が学び、僧侶として少しでも成長していけたら、と思っています。 youtube法話を始めました。私の名前ですぐ見つけていただきます。
本堂までWi-Fiの電波が届かないので、お内仏(家のお仏壇)のお部屋でお話します。

そこにとらわれるあなたの思い

全てそうしたことは、生きている人間の捉われている姿なのでしょう。
幽霊も、生きている人の煩悩に振り回される姿そのもの。餓鬼道に落ちている姿でしょう。

厄年というのも、そうしたものを気にするひとがご祈祷などによりスッキリと立ち直ることができれば、ということにすぎないでしょう。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

何も無くて当たり前。しかし…

心配なら念の為にお寺で厄祓いをなさることをオススメします。
あると思えばある、ないと思えばない。
ということではありません。
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何も無くて当たり前。しかし万が一厄神(疫病神)が来たら困るね、だったら厄祓いはしておく方が安心だねという話です。

4
有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ありがとうございます
幽霊を見た人とかを聞くと、病んでるのかな?と思ってました。餓鬼が幽霊の正体とは(T_T)
有難いお言葉です

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