回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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言葉足らず
こんばんは。何だかヤケクソになっているように感じます。
「きちんとした言葉で伝えよう」と思われたのではありませんか。
投げやりになってしまっていませんか?今までの失敗パターンに入っていませんか?
「信じるとはどういうことですか」と問うているのに、「信じることができません」。
「食べるとはどういうことですか」と問いつつ、「食べることができません」じゃ、「オヤ?分かってるんじゃないの?」と突っ込まれますよ。
なので、「以前は信じることができたけれど、それができなくなってしまった」のかなー、と推測します。その相手は誰なのでしょうね?自分ですか、ご主人ですか?
その辺りの言葉を足すと、より方向性や具体性を帯びた回答が得られると思いますよ。
追記
こんばんは。「お礼」欄の書き込み、読ませていただきました。「今までとは違う接し方をしている」、それは良い試みですね。色んな対応ができるということ、まずはその自覚ができて一歩前進と思います。いろいろと試行錯誤する中で、お互い「なるほど」と言えるコミュニケーションが取れるようになるといいですね。
赤信号で問題なく止まる
信じるとは問題を起こしていないということでしょ。
あなたの心の中で、問題にしない時は信じている時。道を歩いていて赤信号なら止まる、青になれば進みます。この時問題を起こす人は、「あー信号にはまったあ。最高の待ち時間になったあ。残念」とかやります。
信じている人は、問題にしません。信号を見ているとかいう感覚すらないほどに受け入れ、そのように素直に体と連動し、とまったり、歩いたりします。
信じるとは、特別なことが起きるのではなく、問題にしていないときの様子でしょう。
質問者からのお礼
邦元様、お返事頂きましてありがとうございます。
佐藤良文様、お返事頂きましてありがとうございます。
そのままです…
今、食べることができません。食べるとはどうゆうことですか…
前と同じ気持ちにはなっていますが、昨日決意した、前と同じ選択肢にはしていません。
夫にです。
前は、気になること全て質問していました。
昨日は、気になることがあったけれどぐっと我慢しました。
さらに昔(子どもが生まれる前、二人でいた頃)は、何も気にしませんでした、気になりませんでした…
昨日決意した心、以前の私の失敗したパターンには入っていないと思います。
精進していきます。