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自分らしく生きる為にはどうしたら良いですか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 39

あのお母さんみたいになってみたいな〜
あの先生のように働きたいな〜
あの女優さんのように綺麗になりたいな〜
と、
尊敬している人がたくさんいて、
私も素敵だなと思ってもらえる人になりたいです。
次の人生、自分らしく生きる為にはどうしたら良いですか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当のあなたらしさ

その先生たちがまさにそうされているから輝かしいのだと思います。
自分は一生、この自分自身と出会ったこと・触れたことの集合体です。
それ以上でもそれ以下でもありません。
他所にもありません。
他の場所にも他の人にも自分はいません。
次の人生とは今から一秒後のことではないでしょうか。
さっきまでのこと、過去のことなどはどうでもいいのです。
それに縛られず、今出会っていること、今から出会うことの中であなたが今までの条件付け・しがらみ・シバラレを無くして「今」と共にダンスをすることが本当にあなたがこの人生において最高に咲けるようになれる唯一の道です。
過去には感謝の一念あるのみです。
前を向いて遠くを見ずに。
思いの世界の過去や未来は現実ではないものです。
息をしていること、それ自体に上手も下手もありません。
あなたらしくとはこの上手も下手も比較も無いところです。
人は誰か「らしく」ある必要はありません。
あなたが持ち前のあなたを生きることであなたの命が喜び、あなたの命が最高に輝きます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

灯台下暗し

あのお母さんみたいになってみたいな〜
あの先生のように働きたいな〜
あの女優さんのように綺麗になりたいな〜

と思う自分も

私はこの私でいいんだと思う自分も

良い時の自分も悪い時の自分も

嫌いな自分も

都合の悪い自分も

理想とは違う自分も

全部全部ぜ~んぶ「私らしい」のではなく「これが私」とまるごと受け入れることです。

自分らしくを他人に求めても自分は見つかりません。それは頭にメガネをかけてメガネメガネ…とやるアレになってしまいますからね。

とはいっても、現実的にその尊敬する人たちをただ尊敬するだけでなく、尊敬する部分を真似て自分もやってみるとよいのではないでしょうか?

それで「私らしくなる」のでなく「私が充実」するかもしれません。

今この自分が他でもない自分の全て。

今・ここ・自分

あなたが素敵だなと思ってもらうためにはあなたが素敵だなと思う事を実践していく他はないのでしょう。
自分が素敵だなと自分を受け入れてないのに他から褒められたって受け入れがたいですからね。

色んな人の素敵な部分を素敵だなと感じて尊敬できるあなたは十分素敵だと私は思いますよ。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

下位互換になっても無意味。

尊敬する人のモノマネをしても無意味ですよね。同じ人生など歩めるはずもなく、それではよくて足下に縋るのが精一杯でしょう。
 尊敬する人と"肩を並べる"ことを目標にすべきです(そしてあわよくば追い越せ)。さすれば自ずと、異なる(自分らしい)立ち位置(生き方)を見つけられることでしょう。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

吉武文法様
ご多用の中、お返事をくださいましてありがとうございます。
“尊敬する部分を真似て自分もやってみる”
納得です!なるほどです!自分にできることから尊敬している人の尊敬できる部分を真似して生きたいと思います!また一つ希望(楽しめる)ことが吉武文法様のお陰で見付かり、また一つ不安がなくなりました。
ありがとうございます。
他人からどう見られるかより、
今、ここ、自分が充実しているかを感じて大切に過ごしていきます。

丹下覚元様
ご多用の中、お返事をくださいましてありがとうございます。
“今と共にダンスをする”
とても素敵な表現で分かりやすかったです。
ありがとうございます。
今、なんですね。今が大切なのですね。
又、“過去には感謝の一念あるのみ”
ずっとわすれてはいけないことだと思いました。

ハスノハに支えて頂いてます。
心の支えです。

中山雅紀様
ご多用の中、お返事をくださいましてありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ