励ましてください
憎まれ役。伝えなくてはいけないことは誤解が生じないようハッキリと言う必要があるわけで。とはいえ、やっぱり辛い時もあります。
損な役回り。それほど良いものでもないんだけどなぁ、妬まれ悪く言われればいじけてしまうこともあります人間だもの。
図々しいお願いなんですが、こんな私を励ましてもらえますか。
事情を知る人の言葉は、どうしても理想論で響いてこないんです。
一人で背負い込まなくていい、無理しなくていいと言われても、誰かがやらなくてはいけないわけで。誰も代わりはいないため私が引き受けるほかない。覚悟を決めた以上、投げ出すことはできないから淡々とこなしてはいるけれど。
部外者(例えば友人知人)に話して愚痴る質ではないため、この苦労も努力も知る人は殆どいない。別に理解されたい訳ではなく、落ち込んで孤独に負けそうになることがあるんです今のように。
旦那ちゃんの言葉は、色んな意味で明後日を向いているので笑えてしまって励ましにはならず。
たまーに、ただ純粋に、励ましの言葉が聞きたいなあと思ってしまいます。事情が分からこその純粋な励まし。
質問ではない無理なお願いで申し訳ありません。
作為的な流れに逆らいたくなる。流行とか洗脳とか操作とか洗脳とか誘導とか洗脳とか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
嫌われ大慈の愚痴讃辞
キツイですよね、嫌われ役。本来、あぁあの人は進んで嫌われ役やってるんだなと一番察してくれないといけないお坊さんに、背中から撃たれるようなことをされると殊更嫌になります。
おかしな世の中になったもんで、お坊さんを一番先入観でとりあえず疑ってかかる人種はお坊さんという時代ですから尚更ですね。何かアクションを起こそうとしているお坊さんは口を揃えてこう言います。「一番邪魔をしてくるのは常にお坊さんだ」と。
もっとも、アクションを起こそうとしているお坊さん達の大半が「お坊さんはクズだ!」と言いながらアクション起こすんですからどっちもどっちなんですけど…
このギョーカイの人たちは本当に息を吐くように悪口を垂れ流すからかないません。(←という陰口をたたく奴)
さて、自未得度先度他(じみとくどせんどた)と言いましてね、教科書的に言えば自分の救いを後回しにして、先に他者を救ってあげるくらいの意味です。
救いとは何か?悟りとは何か?グルグル考えちゃう思考の輪廻から抜け出す…これは仏道です。
これに対して救ってあげたい!手を差し伸べずにいられない!苦しんでいる人と一緒になってグルグル考えて、一緒にアーしてみたりコーしてみたりしてあげよう!…これを菩薩道と言うんです。
だから自分の救いを後回しにするというよりは、苦のプールから上がって救いのプールサイドにいるけど、溺れてる人のためにいつでもプールに飛び込めるぜ!当たり前に飛び込むよ!という気概ですよね。
仏教では、仏道だけの人も菩薩道だけの人も半人前です。
(話が逸れるからあまり書きませんけど、大乗も上座部も関係ありません。むしろ今となっては逆転現象が起きています。)
ぶっちゃけ、あなたがやろうとしていらっしゃることが本当に正しいのかどうか私は知ったこっちゃありません。知る術もありません。 でも、信念を持ってやろうとするその姿は尊敬します。
自分が汚れることを恐れるべきではありません。平気で泥だらけになれる人こそ真に気高い人です。
人に理解されないことを恐れるべきではありません。人は苦い真実よりも甘い嘘を好むものです。
時に自分自身が間違ってしまうこともあるでしょう。そんな時は真っ直ぐに謝りましょう。他人を打つ覚悟を固めるなら、同時にリスクを背負う覚悟も持たねばなりません。
頑張って下さい。
本当のことを言える方は素晴らしいと思います。
時は平成3X年。
世は忖度忖度の炎に包まれた。
口を開けば友人の友人の友人に迷惑がかかるということで皆口を閉ざすこと貝の如し。
SNSの「いいね!」「♡」ボタンも拡散効果があることや「この記事に❝いいね!❞なんて感性が信じらならい」と「いいね!」ボタンの活用法が誤解され本当に「いいね!」な記事にも「いいね!」と評価することすら許されなくなってしまった。
誰かが本当のことを言わなくちゃいけない。
そうなのです。
あなたは間違ってはいません。
大変ですよね。
負けずに突き進んでください。
悪口だとか批判だとか陰口だとか相手を責めていると思われたのであれば、そこも上手にお伝えしましょう。その一番の本質は何を言っておられるのでしょう。
メインは相手を攻撃することではないはずです。
わかってもらいたいことがあるワケでしょう。
人は単に自分が攻撃されるのが嫌なだけです。
本当に良くなることでも自分を守りたい一心から本当に良い話であっても聞く耳を持ってはくれません。
ですが、その提案・言わなければいけないことは本当は全体にとっても良くなることなのではないでしょうか。
そうであれば、どんどんお伝えするべきであろうと思います。
どんどん浸透するように突き進むべきです。
忖度忖度の迎合集団に属するより「あなたの言う通りです」と言ってくれる本当の価値を分かってくださる人1人を友とするべきです。
好かれる嫌われるを気にしていたら本当のことは口にできません。
私も業界が全体的に良くなってほしいと願い、我々の組織の問題点を投稿してまたもや総スカンです。友はどんどん遠ざかっていきました。
ですが、それでこそ真の友が見いだされるのです。
この世の中には誰かが言わなくちゃいけないことがあります。
届くべき人の所へ届けば、それが良い効果をもって花を咲かせる働きとなります。
道元禅師は「布施というは貪らざるなり。へつらわざるなり。」と説かれています。
修証義というお経にはこの「へつらわざるなり」がカットされています。これも忖度でしょうか。(笑)
布施とは、相手が覚りに向かうべく施される善行。
相手にとって本当に必要なことは言ってあげた方が本当は良いのです。
施しと思ってやることです。それが公の益、全体の利益(りやく)になるように上手に進めることが望ましいのでしょう。自分を信じて突き進んで下さい。
質問者からのお礼
大慈さん、ご回答ありがとうございます。
「人は苦い真実よりも甘い嘘を好むもの 」
今置かれている状況そのままのこの言葉に、頭ふりふりで激しく同意しました。
と同時に、自分もまたこの質問でムチャな甘い嘘を求めていたのだなと気付かされ、他者の気持ちを想像する機会にもなりました。
今回、少ない情報から精一杯、真正面から私に向けて言葉を紡ぎだして下さったのでしょうね。何ともムチャなお願いをしたものだとお恥ずかしい限りです。
私のやっていることは、社会のルールや法律に則ったことです。法律は無情な面もあり人には冷たいものですから、立場上恨み妬みは仕方ないのでしょうね。ただ、リスクに対する覚悟が足りませんでした。
お陰様で心が温まりました。「頑張って」という一言は時に無責任と批判されることもありますが、今回初めて重みを感じました。お坊さん世界の根深い闇のユーモア~仏教のお話~賛辞まで、この一言に精一杯私の求めに応えようとしてくださった大慈さんの思い遣りが集約された、重い言葉。その思い遣りがとても嬉しく、これからの励みにしていきます。度々ご縁を頂き感謝しています。
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丹下覚元さん、ご回答ありがとうございます。
巨大な組織を相手に闘っておられる方から回答を頂けると、一人じゃないんだと心強いです。
大慈さんの言葉を借りれば甘い嘘、これを求めるのは何故かと今回想像してみました。ある人は寂しさや自己に対するどうにもならない嘆きがあり、またある人は社会に対する憤り、また別な人はとにかく気に入らない、他には私のようにいじけてしまっている、等々。皆それぞれ、やり場のない思いが渦巻いているのではないかと。
そこに私が無情 (相手にとっては)の剣を降り下ろすのですから、「痛いよ!」との叫びが攻撃となって向けられて当然なのでしょうね。言葉や方法はかなり配慮したつもりでいましたが、防衛本能には勝てません。
でも甘い顔をして問題を先送りにするのは違う、必要があることはやらなくてはいけない。
防衛本能には勝てないとは分かっていても、おっしゃるように「相手が覚りに向かうべく施される善行」であり布施なのだと思い、また同じように闘っている人もいる私一人じゃないんだと、励みにして頑張ります。
丹下さんからも度々ご縁を頂き感謝しています。
それから LET IT BENの花、咲き続けていますよ(笑)
(質問『立ち小 ben対策』に経過報告で追記あり)
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今回、お二人の方が「自分嫌われ者です!」と自ら手を挙げ引き受けて下さり、申し訳ないやら可笑しいやら嬉しいやらと、元気と勇気が出ました。私は幸せ者ですね。嫌な目にあっても微笑みながら乗り越えられそうです。
(*^-^*)