家系の因縁に囚われ、家庭を築いてはいけないのでしょうか?
私は家庭を持ちたいなと思っていますが、諸条件を考慮して現在は諦めています。
・自分自身が原因不明の体調不良であること(お医者さんが原因不明と言っているだけで、私の中では何となく原因は分かっています)で、パートナーをはじめ、家庭を守れないと思うから。
・祖母が母に嫌がらせ(嫁姑問題)があり、未だに母の中で気持ちの整理ができていない。同じことを繰り返すかもしれないから。祖母は、祖母の兄妹や姪にも嫌がらせをしていました。
(世の中に対して思うこと)
いろいろな本を読んだり、仕事上様々な家庭を見たり、私自身の家系から学んだりしたことです。より正確な真偽を見極めるためには、社会科学から自然科学まで幅広い分野の文献に当たる必要があります。現在の一個人の意見として書かせていただきます。
ある本で、「嫁姑問題は家運を下げる」というのを見ました。これは、昔の家制度や家長制度があった時代に先人が導き出した教えだと思いますが、男女平等社会になりつつある現代では、婿舅争いや夫婦喧嘩も含まれると個人的には考えています。
争いはストレスになります。家系内で、様々な争いが起きるほど、子どもがストレスを感じます。家系内の子どもが少なければ少ないほど、一人の子どもが抱えるストレスは大きくなります。家系の価値観による認知の仕方によっては、本人の中から生じるストレスもあります。
生体内には、ストレスに対処する仕組みは様々あります。ただ、生体が処理できる量には限界があります。仮に、その量に個体差がないとした時、家系内に生じるストレス量が大きければ大きいほど、社会から受けられるストレス量は少なくなります。社会からのストレスも大きいです。上の立場になればなおさらです。よって、子どもが健康で社会で活躍できることを望むなら、まずは大人の人間関係を考えるべきだと思います。
皆が人権を保証された生活を送ることができるようにするなら、より良い考え方にするための治療を個人に、必要があれば家系に専門家が提供する必要があるかと思います。
家系の責任にするなら、もしストレスにより犯罪者になったり、精神疾患者になったりした家系は、必要があれば避妊手術をするという優性思想が生じるのかなと思います。誰が判断するかという問題はありますが。
不幸になる人を減らしたいという思いで、現在の考えを書かせていただきました。
我が強い。保身のために、人を妬んだり、羨んだり、言い訳をしたりする。気持ちに余裕がなくなると、怒ってしまう。愚痴を言ってしまう。過去に学んだことに執着してしまう。未来に対して余計な不安がある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それをふまえて、じゃあどうすれば幸せになれるか
前回も回答させていただきました。
なかなか因果関係の追究ができていて良いと思います。(なんでもかんでも家系や家族のせいだとは私は思いませんがね。また優生思想には反対の立場です)
仏教ではもう一歩先まで考えを向けます。
「それをふまえて、じゃあどうすれば幸せになれるか」
という事です。
仏教は頭でアレコレ考える事じゃなくて、実践の教えなんですよ。
あなたが、幸せに向かって、新しい一粒の種をまけば、新しい結果が生まれてきます。
体調不良をバネに、またはその体調でもできることを探し、なんでもいい。できることをできる範囲でいい。「実際にやってみる」ことです。
さあ?なにをしましょう?
質問者からのお礼
〉光禪 様
今回も、ご回答、ありがとうございました。
まずは、私の幸せを考えていいのですね。考えると、どうしてもネガティブな考えになってしまいます。だいぶ前のご回答に、「まずは自分の身を守ること、そうしなければ、人も助けられない」と教えていただいたことを思い出しました。今、自分にできることを考えているところで、できる範囲で実践し、試行錯誤しながら改善に向け取り組んでいるところです。今、私が困っていることを聞いて回答を得たことや考えたことを公開することで、同じように困っている人の助けになるのではないか、私の不安も解決できるのではないかと思い、多く質問させていただいています。いつも知らなかったことを知ることができ、有り難く思っています。
私には夢があって、「困難を抱えている個人やその家族で改善の手助けとなる社会的資源に繋がっていない人を繋げる仕組みを構築する仕事」または「実際にその人たちを自立できるように手助けできる仕事」をしたいと考えています。ただ、私は、今、自分自身が困難を抱えているので、この困難を乗り越えるために行動しています。必要な情報を得るには自分から動かないと得られないので、分からないときは相談員などに実際にあって相談するようにしています。
私も全て家系や家族が悪いとは思いません。世の中には、行政や図書館、医療機関、労働組合など解決に向けた機関は、いろいろあります。今の時代、インターネットで繋がることもできますし、容易に下調べを行うことができます。「自分の中だけで考えても苦しいだけだから、詳しい人に聴きながら解決した方がいい」と考え方を持つようになったので、後で愚かな質問だったなと思っても聞いて、解決法を決め、実行しています。自分で覚悟して決めることになるので、失敗しても自分で責任を持ち、経験から学べていいことに気づきました。私の両親が、書類の見落としで必要な手続きをやっていなかったことがあって、この時に「だって、誰も教えてくれなかったのに」といったのを聞いて、「自分の容量を超えたことをやって管理できなかったら人のせいか」、と思いました。しかし、ここまで育ててくれたし、私の家系の借金はありませんし、自分自身は現職に復職は厳しそうでも原因不明の腹痛はあっても五体満足。人脈や良好な人間関係を築く力はないですが、今のところ、もの的には困らずに生きているので十分だと思っています。ただ、できることをやろうとすると、障害となる部分があり、もがき苦しみながらもその過程で家系のせいにしてしまうことがあります。祖母の生育歴を人伝に聞いたことがあって、幼少期にそんなことがあったら不安に思い、心が弱くなったりするよなと思います。だから、一生懸命生きてきたんだなと思いを寄せることにしています。もう故人ですし。ただ、私の親も知っていることですが、嫁姑問題を引きずり、親が祖母を責める気持ちを未だに持っているので、「気持ちの整理(供養)をしたら?」と言っていますが、なかなか自分の気持ちを整理できないでいる感じがします。言うことは言ったので、自分の心と体を整えることに専念しています。
優性思想に関しても、私は、反対です。しかし、今の政治を見ていていると、その方向に偏りそうになっていて不安です。なので、あまりニュースは見ないようにしています。私が、どうすることもできないので。
まず、自分に関しては、身の回りのものを整理しています。(1)自分と社会的資源の繋がりの整理、(2)ものの整理(不要物をできるところから少しずつ処分、目標は自分が無理なく管理できる量まで減らす)、(3)体調の調整
(1)医療ソーシャルワーカーや労働組合に相談し、今できるところを実行し改善。
(2)自動車の任意保険や生命保険の見直しを外交員と行い、支出の整理。通信費の見直し。
(3)ゴスペルに行って体と呼吸と心を整える、お風呂に浸かりながらストレッチや瞑想、散歩など。
他人に対しての貢献は、同じ悩みを抱えている人と話し合ったり、悩みを抱えている人の相談サイトに書き込んだりして、一人でも少しでも救えたらという思いで、できる範囲で行動しています。
問題は、収入源で今は現職からの補償がありますが、いつまでも頼り続けることはできません。異動はできないかなど、方法を探し、相談し、調整しているところです。また、できる範囲で転職活動をし、自分が今できることにあった仕事を探しています。
実際にやってみると、身近な人や資源は、たくさんあることに気づきました。ただ、見通しが立たないので、不安に思うことは何度もあります。不安に思ったときは、またhasunoha相談します。
長文、乱文、失礼いたしました。ありがとうございました!