一歩踏み込むか
2年前ネットリンチに遭いました
やってないことを無理矢理画像を重ねてパクリと批判され冤罪を受け嫌がらせや誹謗中傷を受けて酷く辛く悲しかった覚えがあります。
その時は自分の心を慰め怒りを抑え反応しないように必死に宥めるように沢山の人からアドバイスや励ましを貰い、また描くことに対して何を言われても描くのが好きだ。というのを再確認しましたが、傷つけられた事に対しては今でも許せません。
その場所が参加者のやることなすことをバカにして叩いて嗤う人達がいたので嫌気がさしてジャンルを変えて別の場所で活動をしていたのですが、元々の場所の活動は好きだったので
どうして被害者が場所を変えないといけないのか、やってないのに根も葉もないことを言われないといけないのか葛藤がありました。
1年は悲しみを癒すため
1年は怒りを抑えるため使いました
2年経ち心が健康になった頃にフォロワが参加してるのを見て、また自分もそこで描きたい思いもあり覗きましたが過疎化の一途を辿っているようで活気はありませんでした。
しかし人の悪口を陰で言って発散してる人たちは2年前と何も変わらず誰と誰が仲良しだから関わるなというようなどうでもいいことでさえ叩いていて酷く落胆しています。
こんな人たちがいるような場所に居たくない
そう思うのですが表で頑張ってる人や陰でバカにされ叩かれても知ってるのか知らないのか続けている人達を見ると、自分もやりたいと思ってしまいます。
その場所での人間関係は良し悪しで、自己中心的な人達が多いので波長が合う人とは仲良いけど、最悪な人もいます。喧嘩をした人もいますがこちらが3ヶ月堪えてダメだと思った人に物申すと破局することもありました
そのような場所に戻りたいか、今一つ決断にかけますが、そこで活動して楽しみたい
本当に楽しめるのか?今の場所で十分ではないか?
人を苛めて楽しむような人が潜む場所に行かない方が良いのではないか?
その人達になに言われても無視して悪口を見て離れるような人も無視して活動をすれば良いのではないか?
なぜなら2年離れて健康な心を取り戻した自分が彼らを見て悪口の内容より悪口言ってる人達が心底気持ち悪いと思えたのだから
と、心境の変化を感じていますが
第三者からの視点では、戻らない方がいいと思いますか?
その時間をもっと別の方向に向けた方が良いのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どんな人とも付き合えばいいというものではない
私は戻らなくていいと思いますよ。
お釈迦さまは言いました。
「高め合える仲間と出会えたなら、それは何にも増して素晴らしいことです。ぜひ一緒に行きなさい。しかし足を引っ張り合う人としか出会えなかったなら、1人でいたほうがマシです。」
私もよそのQ&Aで長年活動し、疲れてhasunohaに流れ着いたクチですのでお気持ちはよく分かります。本当に出会えてよかった。あの人たちは今頃どうしているんだろうなと思える出会いもありました。hasunohaで回答する上で勇気を振り絞るため、その人たちからいただいた言葉を思い出すこともしょっちゅうです。
でも、カルトや原理主義者に足を引っ張られることで消費する時間と労力は、明らかに無駄なんですよね。継続して回答すれば全体が大分マシな流れになりますが、1週間もサボれば元の木阿弥になって荒れまくりますし。だから戻りません。
ぶっちゃけ荒れた場所で揉まれたから深く深く勉強した一面もあります。その経験が無ければキレイに編集され、誰でも説けるように薄くマニュアル化された教義しか知らなかったかもしれません。一度は全く守られていない場所で布教する経験をしてみるとイイですよと、人に勧めてもいいくらいです。仏教にマイナスの関心を持つ人たちに仏教を説く経験もしてみたほうがいいです。
でも、荒れ果てた場所は『長く居るところではない』ですよね。
仮にあの人たちを変えたいと望んでも、文章力や読解力、思い込みの激しさ、根本的な悪意等まで絡んでくると、もはやネット上でどうこうできる次元ではありません。
お坊さんでも活動する場は選ばないと足の引っ張り合いに巻き込まれます。字数制限をフルに使って書いて、ようやく前提の誤解を解いたり予防線を張ったりできれば万々歳。肝心の中身は一切書けませんでした。そんなことばかりです。お坊さんでもそうなんです。
戻らなくていいと思いますよ。もっと安全で生産的な場所を探すべきでしょう。まともに話し合う能力を持たない人と、ネット上で争うことほど無駄なことはありません。
質問者からのお礼
とてもありがたいお言葉ありがとうございました。
高め合える仲間と出逢えたのもありますが今でも交流が続くのはほんの数人で
もてはやされた時や他の人に褒められ注目された頃に近寄って来た多くの人は
その限りで、こちらが悪く言われるようになると蜘蛛の子を散らすように
遠巻きで見たり悪口に便乗して叩くような人もいたりしてその程度の人が多かったと
思う所もありました。
足を引っ張る人と出会うこともあり、こちらが気を遣うことに疲れたり
陰で上手い人が転落していくのを見るのが楽しいと言ってる匿名や
上手い人の悪い部分を見つけてはどうでもいいことでも許せない!最低!と
触れまわるような匿名が多く、またその匿名のお気に入りの絵描きをよいしょする為に
お気に入りの絵描きがパクられてると似たような画像を引っ張って検証して
少ない人数でも黒と誰かが言うとちゃんと検証してなく線がズレててもパクリ
線がズレてるのは一度下敷きにしたあとに上から描き直してるなど
パクリをしている前提で話を進めて晒したことに正当性を求めるように理由をつける行為が
頻繁で、事実が違うのに決めつけて叩く人が多かったです。
人のやることなすことにいちゃもんつけてその人達自身は何も成長していない
それが二年経って見に行った感想でした。
叩かれてる人でも知っても知らなくても気にせず続けて楽しんでいる人もいます
本当に凄いなと思い尊敬もして、その人達とまた交流したい、分かる人には分かってくれる
自分も負けずに頑張りたい、そうは思ってもまた言われなくてもいいことを言われるのではないか
いじめを楽しむような人がいるところに行かない方がいいのではないかと揺らいでました。
大慈様の経験やお釈迦様の話により、共感する部分やなるほどと分かる部分を読んで
戻らなくていいと判断しました。
>荒れ果てた場所は『長く居るところではない』
確かにそうだと思います。変えたいと思う部分も曇った人達には全く効力のないことで
その人達のせいで次々と参加者が消えていきその場所が衰退していったのに
その原因である悪口大好きな人達は自分たちのせいだと自覚がなくオワコンと言ってる始末でした
荒れたところだからこそ競争率が激しかったときにいたからこそ
随分と上達した部分もあります。酷いことを笑って言い回るような人として最低な人達が
いたから、被害を受けて被害者の視点を見ることができ、様々な人としての考え方を学び
自分の作るものに自信を持つことが出来ました
被害を受けなかったら、いつ冤罪を受けるか、やってないのにやったと決めつけられて
嫌がらせを受けるのか、悪口を言ってる人達の愚痴を見て行動制限や発言を控え
描くものも好きに描けず、描けなくなることが増えていくことにストレスを感じ続けていたかもしれません。
被害を受け、周りの態度の変化や変わらない人、気にしない人、その人達を見て
心強く思えたことや、それでも描くのをやめず場所を変え安全で生産的なところに移動したことにより、もっと広い世界にいけてそこで新しい人間関係を作れて
ストレスが減り、描くものも自由に出来るようになり良かったと思うことが多かったです。
ただ、今でも交流してる人が荒れた場所で叩かれながらも続けて楽しんでいるのを見ると
自分もやりたいという思いや羨ましい強さに惹かれ、挑戦したいという気持ちが湧きあがります
それでも、やっぱり、安全で生産性のある場所で活動した方が精神的や肉体的、筆を折らないためにいいのかもしれません。
戻りたい思いはありましたが、自分を守るために戻らず
もっと前を向いて生産的に活動できるところに居ようと思います。
とてもありがとうございました。