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欲望を抑えるには。

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有り難し有り難し 25

結婚して10年、子宝にも恵まれてますが
煩悩が断ち切れません。
もっと言ってしまえば
家庭や仕事、全て捨て去って
色んな女性と欲望のままに生きたいとさえ思ってしまいます。

いけない事と分かっていても
そういった思いが中々、断ち切る事が出来ずにいるので
意思の弱い自分が嫌になります。

今、この欲望のせいで
妻を非常に悲しませる事態になってしまいました。

この邪魔な欲望を断ち切るためには
どういった考えや行いをすれば良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

日々、仏前で懺悔文(さんげもん)を唱えてください

 悪業を犯した時、仏教徒は懺悔(さんげ)を行います。懺悔とは、自ら犯した罪過について、仏や僧侶の前で告白して許しを乞う行法のこと言います。懺悔を行うには、懺悔文(さんげもん)という偈文を唱えます。日々、仏前で懺悔文(さんげもん)を唱え、欲望が肥大化していくことを抑えましょう。

宗派によって若干語句の異同があり、唱え方も異なっているようです。曹洞宗の場合は、
下記のように漢字を音読みで唱えます。

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
    我、昔より造る所の諸の悪業は
皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)
    皆、無始の貪瞋痴に由り
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
    身口意従り生ずる所なり)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
    一切を我、今皆な懺悔す

意馬心猿(いばしんえん)ということわざがあります。「意(おもい)は馬のように奔走し、心は猿のように騒ぎ立てる。そのように、煩悩とは実に抑えがたいものである。」という意味です。馬や猿は抑えが利かない。そして、我々人間も、同様に、煩悩に振り回され抑えが利かなくなってしまう危険をはらんでいます。一時的に欲望を満足させたとしても、次の瞬間には更なる欲望が湧きあがってきます。そのことをしっかりと自覚して下さい。
  煩悩のコントロールに努めてこそ、人間です。あなたの場合、自分自身の危うさを自覚しているようです。そういう自覚を日々忘れず、日々懺悔文を唱えて自分の心と行動を点検・反省し、暴走を防いでください。

暴走を許してしまうと、多くの大切なものを失います。このhasunohaには時々暴走する自分を肯定して欲しくて、質問を投稿するバカタレが居ります。

http://hasunoha.jp/questions/541
http://hasunoha.jp/questions/954
http://hasunoha.jp/questions/1307
http://hasunoha.jp/questions/1837

暴走によって自分が失敗し自分だけが不幸を味わうというなら、「まあご自由に。」と言っても良いかもしれません。しかし、事はあなた一人の問題ではありません。暴走によって、家族を不幸にし、周囲を不幸にします。そのことを忘れないで下さい。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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魔の仕業

欲望のままに生きたいなら独身が一番。
しかし、妻を悲しませたことに後悔の念があるということは、天秤にかけたならば妻への愛の方が重かったということですね。
あなたは奥様を心の底から愛しいと思っている。思っていた。
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この女しかいないと思った。今でも思っている。
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欲望を無くすことは不可能ですが抑えることは可能です。
因縁ということを知るのです。
欲望に溺れたならばいっときの快楽を原因として不信の結果を呼び込むのだと。
強い快楽は魔力であり魅力的なのですが中毒性も強く、人間をどんどん仏の教えから遠ざけていきます、それが魔の望むところなのです。
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気のゆるみは魔が入りやすいもの。
「ま、いいか」とは魔の仕業。
しかし、それこそが魔の存在に気付く絶好の機会。これを逃してはなりません。
『魔の仕業、魔の仕業』と仏の言葉を口にしましょう。
あなたの心から魔を追い出すことができます。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れ...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
魔がさす、とはよく耳にする言葉でしたが
他人事のように聞き流してました。
しかし自分自身がその魔に犯されていたんですね。
私は今でも妻を愛してます。家族も愛してます。
今後、欲望の魔に負けそうな時は
改めて自分の中にある本来の気持ち、本心を常に念じて
魔に打ち勝ちたいと思います。
そして時間は掛かると思いますが
信用を取り戻すべく精進して家族を妻を大事にしていきたいと思います。
私はまだまだ未熟な身。
また心に迷いが出た時は宜しくお願いします。

洞林寺吉田俊英様、お叱りのお言葉、ありがとうございます。

己の愚かな思想と行動でどれだけ妻を悲しませたか、
いかなる理由があろうとも煩悩、欲望に狂ってはいけない、
欲望を抑えることが人として生きること…
俊英様の切れ味鋭いお叱りのお言葉で更に深く心に刻むことができました。

今までの私はどこか甘えがあったのかもしれません。
酒を飲むこともなく一人きりで仕事も頑張って家事も手伝って
自由に飲み歩く妻を傍目に見ながら
俺だってストレスは溜まってるんだ!
少しくらいいいだろう…

そんな甘えた考えがあったのかもしれません。
そして心のどこかでお叱りを待ってたのかもしれません。

今、すごく爽快な気持ちです。

これからはストレスが溜まった時、
相談した時などは欲に走ることなく
こちらのサイトにお邪魔して
鬱憤を晴らさせて頂きたいと思いますので
その折りはまたアドバイスの方、宜しくお願いします。

「欲望・欲を抑える」問答一覧

何かを好きになることは、いけないこと?

 僕は絵を描くのが好きなのですが、周りの絵を描く人を見ていると、誰にも見てもらえなくて絵を描くのを止めたり、上手い人に嫉妬して絵を描くのが嫌いになったりしてる人が多いのです。  そういう人たちを見ていると、「他人から見てもらえることや、上手くなることに執着してそれを追い求めても、結局は満たされずに絵が嫌いになってしまう。絵をずっと続けていくには、それらに囚われず、絵そのものを好きになることが大切だ。」と思うようになりました。  そうして色々調べている内に、初期仏教の「感覚に執着しない」という教えに辿り着き、それが様々な教えの中で最も根源的だと思うようになりました。  「○○が欲しい」「○○が快い」と思って追い求めて行っても、それが満たされなかった時に結局苦しみを覚えてしまう。苦しみを覚えないためには、感覚に心を動かされず、静穏な心で物事をありのままに受容すればいいのだということです。  実際その教えを実践していって、絵以外の様々な物事にも影響が出てくるようになりました。今までは自分のマイナス感情に振り回され自己嫌悪に浸っていたのですが、「これはこういう情動なのだ」とありのままに観察し、執着しないことでそれらの悪循環から抜け出せたのです。  しかし、よくよく考えてみれば、「絵を描くのが好きだ」というのも感覚であり、執着です。「これは自分の人生でやりたいことだ」と言ってしまえば、それが果たせなかった時の苦しみの源になります。もしそうだとするならば、絵を描くことを好み、苦しみなくそれを楽しみたいという欲求にも囚われてはいけないのではないでしょうか。  

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

密教における欲、怒りについて。

昔、私が学生だった頃、大学でインド哲学を学んだ人から、こう教えられました。「初期仏教では人に属する欲は全て良くないものと全否定されるが、時代が経てだんだんと欲は肯定されていって、仏教の最終段階である密教では「セックスは菩薩の境地だ!」と教えられるのですよ。そうやって密教では性も含めあらゆる欲が全肯定されるに至るのです!」と。 また同時に、弘法大師を信奉するある僧侶の方が「日本人は怒れないないからダメなんだ!」と仰り、その言葉を持って、先の人からは「(人に対して社会に対して)もっと怒れ!怒れ!」と、私は言われ続けました。 私は{密教では怒りの感情も人間に属する<聖なる属性>として肯定されるのか。。}と思い、それからというもの、私は何かと「怒り」を持って親や世間の人たちに接し、それが故に大きな軋轢を家族や人々との間に作ってきました。 今はそのようなことすべてを後悔しています。 私も老齢を迎えつつある今、お釈迦様の言葉や弘法大師の「四恩十善の教え」を知るなかで、実際のところ、密教では「欲」や「怒り」はどのように扱われるのだろうという疑問が頭から離れません。 彼らが言ったように、欲や怒りは密教では「善きもの」なのでしょうか? そのように肯定されるものなのでしょうか。 お釈迦様の教と密教はそれほど違うものなのでしょうか。 どうぞお教下さい。

有り難し有り難し 43
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新しい刺激を得たい欲求との付き合い方

ストレスが溜まると新しい刺激が欲しくなります。(週1ぐらい) 同じ毎日に嫌気が刺し新しい楽しいことがないかと考えます。 しかし、それのせいで先日夫と喧嘩をしました。 少し前から私はこの人生を鮮やかにするには新しいことを習慣化し自分の特技を作ろうと語学の勉強をしていました。 勉強をしていくうちにペラペラになりたいと思い、なった方々を調べるとネイティブの方と喋るに尽きるとのことでした。 私は留学はできませんしお金もあまりないので、海外の方と交流できるコミュニケーションアプリの利用を考えました。もちろん女性とだけ関わるつもりでした。 しかし、夫は元々SNSを酷く嫌がるタイプの人間なのでやはりダメでした。 自分からすれば刺激のない日々の対策を自ら見つけ、コツコツ頑張って来たので腹が立ちました。何も男の人と関わるとは言ってないからです。 とはいえ、夫がそう言うだろうとはわかっていました。自分は夫の方が大事なのでそこは自分が諦めました。 しかしながら、じゃあその代わりになる物があるかと言うとそうじゃないです。 今まで散歩や、新しい料理、掃除、読書などをやってましたがどれも物足りなかったです。 また何かを見つけない限り自分は生きてるのが苦痛になると思います。 このストレスを得ると新しい刺激を得たい欲求とどう付き合うのが良いのでしょうか。

有り難し有り難し 7
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「欲」との向き合い方が分かりません。

いつもお世話になっています。 タイトルの通り、欲とどう付き合うべきなのか、より正確には「無欲」とどう対峙すれば良いのか悩んでいます。 私は基本的に、様々な物・事に対する欲や執着が薄い傾向にあります。 物欲はもちろん、金銭や名誉への執着も大してなく、娯楽や趣味も没頭するほど興味の強いものが特にありません。 人間である以上、欲が皆無という事は有り得ませんし、あくまで「欲が薄い」のだろうと自身では思っていますが、実際それを周囲から指摘される事がたびたびあります。 例えば物欲ですが、生活必需品(消耗品)以外の物について「どうしても欲しくて堪らない」と感じる事がほとんどなく、自ら買いに出かけるような事はまずありません。 流行に疎く、新しい物・珍しい物への関心も薄いです。 毎年誕生日にプレゼント交換をする友人がいますが、これと言って欲しい物も思いつかず「じゃあこれ適当に使って」と仕方なく現金でもらった経験さえあります。 しかし、そのお金に関しても「欲しい物、したい事があって貯めている」わけではなく、「使う予定がなく必然的に貯金に回っている」状態です。 他にも、人と会ったり遊んだりする際、行きたい場所、したい事がパッと浮かばず、基本的にプランは相手任せです。 (表現が適切か定かでありませんが) 「意見がないに等しい」ので、仮にどこで何をする事になっても、それを苦に感じたり嫌に思ったりは特にありません。 ですが周りからは「それで本当に楽しめてるの?」と逆に疑われる事があります。 また、私はどちらかと言うと「〜したい」より「〜したくない」という欲が強いです。 自身の経験上(※詳細は過去の質問をご参照願います)、常に思考の根本に「周りを巻き込みたくない」考えがあり、結果的に「相手に合わせる」、より正確には「相手任せ」という展開が大半です。 自分自身に関しても、「今以下にはなりたくない」、強いて肯定形にするなら「せめて現状維持でいたい」です。 欲の無さは同時に自信や向上心の無さだと聞きますが、やはり欲が薄いのは総じて良くないのでしょうか。 欲の薄い自分はまともに自己主張すらできない弱い人間という事なのでしょうか。 欲が薄い事は「恥ずべき」事、「改めるべき」事に当たりますか。そうである場合、それを直していくためにどのような事を心がけていくべきか教えて頂きたいです。

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