仏の顔も三度
ミシマ男性/10代
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仏の顔も三度まで、ということわざは、いくら仏様と言えども顔を三度撫でられれば怒るという意味だそうですが、賓頭盧様の顔はあまり撫でるべきではないでしょうか。
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仏の顔も三度まで
ヤギ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
確かに温厚なる者でも何度も嫌なことをされたら怒るという場合で使われることがありますが、実際は、コーサラ国による釈迦族への軍事侵攻の際に、お釈迦様が、三度、国境に現れられて、それを留めさせたものの、四度目は、もはやどうしようもない釈迦族の業の因果の流れを見極められ、国境に現れられなかったことに由来するものとも言われております。
これは、お釈迦様であっても、業(カルマ)の因縁(原因と条件)が、もはやいったん結果へと向かい出したのであれば、それを留めることが難しいということを示しています。そのため、私たちも、業(カルマ)の因縁には十分に気を払って参りたいものとなるのであります。
賓頭盧様をお撫でして病気の厄災を払うというのは、日本における独特の信仰になっているようですが、それはそれとして特にお撫で致しても問題はないかとは存じます。
仏像も、普通にお掃除の時には、お顔もお撫でするものです。ただ、尊い方の像をお撫でしているという意識はどこかに持ちつつになりますが、賓頭盧様をお撫でする際にも、そのような気持ちにてお撫でになりつつ、厄災を払って頂けるようにとなさられると良いかと思います。
川口英俊 合掌
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