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人生の待ち時間

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有り難し有り難し 7

どの扉を叩いても、押しても引いても、うんともすんとも言わない時。
何もやっても集中出来ない時、上手くいかないと感じる時。
達成感のかけらもなく、生き甲斐もなく、夢も希望もありません、な時。
または、そんな人生。

そういう場合、焦らず倦まず「待つ」ことが大切だと様々な場所で見聞きしました。世間のいろんな人がそれについて語っていますが、他のご意見も聞いてみたくて質問しました。

宜しくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お釈迦様は、死を待つ時間も瞑想で遊んでいた

人生には、色んな場面で、「待ち時間」があります。
大小、長短、さまざまな「○○待ち」があります。
待ち時間を楽しむことができれば、きっと、人生の楽しみが何倍にもなります。
「待ち」は辛い時間ではなく、遊ぶ時間です。

やるだけのことをやったのだったら、あとは遊びながら待てばよいのです。
私達人間は、最高のゲーム機を持ち歩いています。
それは、私達自身の肉体と心です。
肉体と心をゲーム機として遊ぶことができれば、どんな辛い待ち時間でも有意義に使えます。
その方法は、仏教の瞑想や修行です。
仏教の瞑想や修行は、道具なしにいつでもどこでも誰でもすぐに遊べるゲームなのです。
お釈迦様は、ご自身が亡くなる瞬間まで瞑想をされていました。
しかも、お釈迦様は、
平安に亡くなる(ニルヴァーナに入る、入滅する)ために必要なレベルの瞑想をすればよいところを、
わざわざ、もっとハイレベルの神様レベルの精神統一状態に一回入ってから、また平安に亡くなるためのレベルに戻ってきて亡くなったのです。
つまり、お釈迦様は、ご自身の死を待つ時間にさえ瞑想の境地で遊んでいたのです。

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ありがとうございました。

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