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悪気がなく、謝る・叱るでもない時

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スーパーなどにあるちょっとした子供の遊びスペース

他の子供とも遊べるからと思い、ここで2歳の娘を遊ばせ、私は生後間もない子を抱っこしてそばで見守りながらよく過ごしています。

2歳の娘はお転婆の上に赤ちゃんが生まれてから大変世話焼きとなり、みんなの靴を並べたり、指吸してる子がいれば止めたりしてしまいます。

その度私もやめなさいと止めますが、赤ちゃんを抱いているので間に合わない時がどうしてもあります。

そんな時、それも遊びのうちと寛大な心で許してくれる方もいますが、中には嫌な顔や説教をされる時もあります。

その度に謝ったり、叱ったりとその場でできる限りの対処はしています。

しかし最近、娘が小さい子を見て、一緒に遊んで仲良くなり、可愛いと抱きついたのですが、背丈的に首に手を回す形になってしまい、私も身を乗り出しすぐ止めに入ったのですが、片手がふさがっていて完全に引き離すことができず、「やめて、危ないから離して」と言い聞かすのがやっとでした。

するとその子の親が気づいて抱きかかえに来たのですが、その際に「勘弁して!」と言われ立ち去られてしまいました。

その言葉を言われるまで、悪気があってしたのではなくても、謝らねばと思っていたのですが、この事件が起きた時、数時間近くその親は子供に見向きもせず、携帯をいじり倒しており、私がその子もその子の姉も2人一緒に面倒を見ていて、まるで保育士状態でした。

それなのにこんな言葉を投げかけられ、娘も悪気があってしたわけではなく、そっと愛おしそうに手を回していた状況を思い出し、娘のこの時の気持ちを考えた瞬間、謝ることも叱ることもなんだか違う気がして今もどうすれば良いか考え込んでいます。

子供を育てていく上でこれからもこのようなことは日常茶飯事起きてくると思いますが、私はどう対処すればよいでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分がしたこと、しなかったことだけを見る

はじめまして、読ませていただきました^^

ももえみさんが引っかかっているのは
「私がその子もその子の姉も2人一緒に面倒を見ていて、まるで保育士状態でした」
という部分でしょうか?

あの親はスマホばかりいじっていて、その間、自分が見ていたのに・・・何だあの態度は、あの言葉は。
と、思ってしまったのですね。
むかつく気持ちはよくわかります、なんか理不尽ですよね。

まず、確認しておきたいのは、小さい子どもに罪は無い、ということですね。
社会性が身につくのはまだまだ先の話ですから、自由に行動する子どもたちにあれこれ言うわけにはいかない。

大人がすべきことは、事故が起きないようにちゃんと見張る、ただそれだけなのではないでしょうか。

「人がしたこと、しなかったことを見るな
自分がしたこと、しなかったことだけを見よ」

これはお釈迦様の言葉です。
私がこれだけしてあげたのに、みたいに考え始めたら、そこから迷いや苦しみが生じます。
向こうがどんな態度だったとか、何を言ったとか、そんなつまらない記憶はポイッと捨て去ってしまいなさい。
いつまでも執着してたって、何にも良いことないよ。

ももえみさんが覚えておけばいいのは、子ども達が何事も無く、無事に楽しい時間を過ごせたことだけ。
先方の親御さんから何を言われたとか、そういうことは忘れてしまえばいいんです。

人にはそれぞれ自分の都合がありますので、その瞬間なにを感じたかというのも人それぞれ。

子ども達を見守っていたのはあなたの都合。
向こうの親にしてみれば、自分の子が知らないよその子にちょっかい出されて嫌な気持ちになった、のかもしれませんが、結局それも向こうの都合であって、あなたの都合ではないのです。
ももえみさんは、事故が起きないようにちゃんと子ども達(自分の子もよその子も)を見ていてくれて、未然に事故を防ぎました、素晴らしいです、尊い行いです。
あなたはそこだけ覚えておけばいいんです。
子ども達は無事だった、よかったね。そこでこの話はおしまい(>人<)

大事なのはお子さんの笑顔、ただそれだけだと思いますよ。

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有り難し
おきもち

様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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質問者からのお礼

回答を読み終わった今、なんだか心が洗われた気分で、幸せな気持ちであふれています。

言われるまで気づいていませんでしたが、私は「私がこれをしたのだから、あなたはこうあるべきだ」と押し付けの考えをしていました。

この考えの根本は、親から叱られる時「お兄ちゃんがこれをしてくれたのだから、あなたはこれをしなさい。」「あなたがそれをしたなら、お姉ちゃんはあれをやるべきだ。」のように育てられ、そこになんの疑念も持ってなかったのが原因だったのかなと思います。

親の叱り方が間違ってる(もちろん間違いだとは思っていません)とか、親のせいだと言いたいのではなく、私も人生を重ねるうち、この叱り方の考えをこじらせ、他人にまで押し付けて考えてしまうようになっていたのですね…。

「自分のしたこと、してないことを見る」と、お坊さんのおっしゃるように、私は子供たちが安全に楽しく遊べるよう見守った。
その結果、誰も怪我をしなかったし、子供たちは皆笑顔だった。
危ない場面があったけれど、それも自分が対処できうる範囲のことを全力で尽くし、それでも回避し辛く、自分が声をあげたから気付いてもらえた。

この行いの中には私が悔いること、恥じることは何一つないし、自分の娘も守りきったのだからそれでよしですね!

私は兄・姉・兄の4人兄弟のなかで育ったので、どんなことでもつい比較して落ち込んだり、悲しんだり、苦しんだりしてきたので、お釈迦様の言葉は本当に心に響きました。

この言葉を忘れぬよう、大切に胸にしまい、生きていきたいと思います。
本当にありがとうございました。

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