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転悪成徳
あれはあれでよかった。
あれはあれで必要だった。
あれをバネにここまで来た。
あのおかげで今日の私がある。
あの時は苦しかったけど、今は心から感謝している。
そういえるように生きればいい。
後悔しても良い
HANA様こんにちは。拝見させていただきました。
「後悔」ということで、人間生きていれば後悔しちゃう事って確かにありますよね。「あの時ああしていれば」とか「あの時の選択を間違っていなければ」とか。
私自身も後悔を持ちながら生きていた時期があるのですが、その時よくよく自分の「考え」を見つめてみたら「偏り」や「傾向」があることに気づいたのです。後悔している自分、あるいは後悔している人は「選択しなかった未来」が「かならず今よりも上手くいっている」と無条件に信じているのです。よくよく考えてみれば「あの時ああしていても」結果は変わらなかったかもしれないし、逆にもっとひどくなっている可能性も十分あるのです。でもそこは「考えない」「見ようとしない」のです。それはなぜか?原因があります。
原因は、満足していない「今現在」の責任を過去に求めているからです。過去の自分や他人、環境に責任をとらせようとしているからです。私は役目柄様々な人に会いますが、今を満足して生きている人は過去の後悔に悩みません。今に満足できない人は過去の後悔に悩みます。
ただ、間違えないでいただきたいのは、後悔する自分を責めないことです。後悔しちゃう自分が出てきても否定せずに「後悔しちゃうよね~あるよね~」と自分で自分の状態を認める事です。まずこれが第一段階です。次に、できたら「こういう言葉をかけてもらったら嬉しいな」と思う言葉を自分で自分に言う練習をすることです。心のリハビリです。
次、HANAさんは時間は「過去→現在→未来」と流れていて、過去が今の自分を作っていると思っているでしょうか?実は違います。時間は「未来→現在→過去」と流れています。ですから「こんな気持ちで過ごしている自分だったら嬉しいな」という自分を想像して、その未来の自分に「未来の私、今の私を導いてよね」とお願いしましょう。未来の自分への「過程」を生きていきましょう。未来が自分を作るのです。未来への過程としての今を生きること。しばらく実践してみていただけたらと思います。応援しております。