文句ばかり言われます
前回も怒りの煩悩との付き合い方を教えていただいたのですが、まだまだ修行が足りないようです。もう少し話させてください。
義父母がショートステイから戻りました。
「家がいい」と二人とも言いますが、介護する側としては、行ってもらわないと潰れてしまいます。
ショートへの「行きたくない」から始まり、「デイを休ませてくれない」「呼んでも来てくれない」「(病院など必要な場所でも)連れていかれる」「することがない」「(私たち家族が、もしくは私が)また出かけてる」などキリがありません。
夜中の1時や3時に呼ばれてもすぐには行けませんし、デイを休んではいけないなどと言ってもいません。排泄の失敗で汚れたからデイでお風呂に入ってくれた方がこちらが助かるというだけです。
どちらか一人ならまだいいのかもしれませんが、義父母二人で文句を言いあっていて、その声は二階に聞こえるような音量で聞こえてくるのでたまりません。私が大きい声に階下へ降りると、何でもないと知らんぷりです。
手を抜いていいと方々で言われますし、できないことはできないと割り切るようにして、少しは手の抜き方を覚えましたが、手を抜いて文句を言われるのは私で、小さなことに耐えられなくなってきました。
私が介護から手を引けば、義父母は義姉とその娘(以下孫)にやらせればいいと高をくくっているようです。その二人は精神障害を患っていて、私たち(息子夫婦)からしたら介護や薬などの管理もできておらず、まかせられません。
私は人よりポジティブな考え方ができるから大丈夫と自負していましたが、義父母からの文句、義姉、孫の相手、その4人の調整はさすがに負担が大きいです。違うだの、こう思うだの、私たちの意見を言えば言ったで倍以上になって返ってくるので、必要最低限だけ言い、それ以外は必死にポジティブ変換しています。
なんで、文句ばかりなんでしょうか?
それとも私のやり方が悪いのでしょうか?
文句の理由を本人に聞けば「ええよ」の一点張りで、義父母とも本心は聞いたことがありません。きっと義父母の特技は「二枚舌」なのだと最近思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
真理を悟っていない者同士だから
生老病死の苦しみは誰にでもあることをちゃんと理解していれば、老いて介護が必要になった状況を、本人も家族も受け入れられるでしょう。
しかし実際は、苦をありのままに受け入れられるほど悟っていない私達なので、
老いた本人はいつまでも若い元気なときのように自由に暮らしたいと思うし、
介護する家族の方も、父母が若いときのように手間のかからない父母であって欲しいと思うのです。
つまり、現実にはありえない無茶な願望を抱き、それがかなわいと怒ったり愚痴を言うのです。
本当は、家族そろって仏教を学んで欲しいのです。
そうすれば、現実を受け入れ、怒りや愚痴が減り、互いに慈しみ合いあわれみ合う優しい関係になれるはずです。
とはいえ、義父母に仏教を学ばせるのはなかなか難しいかもしれません。
だとすれば、あなた自身だけでも仏教を学んで、あなた自身が、怒りがわきにくい(ストレスを感じにくい)性格に成るほかありません。
人生は思いどおりにいかなくて当たり前。
それを家族みんなが理解できれば一番なんですけどね。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
仏教を学ぶということで、近所のお坊様はあまり説法が得意な方ではないようなので^^;とりあえずネット検索してみました。
怒りの煩悩について、対処法について少しはわかった気がします。今はまだ言葉を知っただけなので、調べた仏教の言葉が私自身の言葉になるように、いろいろ考えたいと思います。
昨日もいろいろと問題が起きましたが、一歩引いて変に巻き込まれることはありませんでした。こちらで話を聞いていただき、少しでも仏教の教えに触れることができたからだと思います。
ありがとうございました。