友人の子供の名前ですが、どう思いますか?
友人が、この間生まれた彼の子供の名前を「空のように心広く育ってほしい」という由来から、「空羅」(そら)と名付けました。
「羅」はこれから良くなってほしいという理由から付けたそうです。
名前の由来は愛が籠っていてとても良いと思いますが、正直な話、彼の子供にとってそんなに酷くないと思いますが、ちょっとこれは・・・と思います。
「空」は空白、空虚、空(から)などと、空っぽのイメージを連想させますし、羅は「網羅」などと、自由とは程遠い網のイメージをさせます。それにこの字の組合わせから、歴史に出てきそうなお寺の僧侶みたいなものも連想させますし。
そして空羅、という字は、初めて読む時、「そら」と中々読みませんよね?(そらら、くうら と読みますよね。)
他人の子供の名前なので私が気にすること、気にするべきではないと思いますが、この名前はどうでしょうか?
被害妄想がひどいときがある 自分に自信がない 今が恵まれすぎて、過去を振り返ったとき、もしこうなってたら・・・等と変に妄想してしまい、憂鬱になっているときがある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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イメージしているのは自分
それではMasa199403さんとは一風違う感性でイメージしてみましょうかね。空は大空の空です。羅は綺羅星の羅ですから、空羅で星空でしょうかね。満天の星が輝く広大な空。田舎に住めば分かりますが、月夜の明かりってとても安心感があって優しい感じなんです。空の広さは自由、星の輝きは希望、照らされた地面は安心のイメージですねぇ。それから夜の涼しい風の凛とした感じも伝わってくるようです。
そんな受け取り方もありますよという話です。
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ある人は雨を見て鬱陶しさを感じます。ある人は同じ雨を見て日本の情緒を感じます。雨そのものは鬱陶しさも情緒もありません。それらはあくまで人間の認知の問題です。
そうした時に、お釈迦さまは評価しよう評価しようとする心を煩悩の1つの段階に挙げました。鬱陶しいとか情緒だと評価するから好き嫌いが生まれる。だから評価の心は苦の原因=煩悩である…と。
漢字はそれ自体に意味を持つものですが、複数の意味やイメージの中からどれを選びとっているかは、自分次第ですね。つまり評価するという行為は、他人を評価しているようで、本当は自分の弱さをさらけ出しちゃってるわけなんです。
それを当たり前にやっていると、どんどん(自分が)許せない事が増えていって、そのつど1つ、また1つと生きづらくなっていく…そりゃあ損な生き方なんです。悪魔ちゃんとか完全の一線を越えているものは別として、あんまし他人のことにアーだコーだ言わんことです。気にしない気にしない。その方が賢い生き方なんです。
最後に、他人の名前をネットで晒しちゃダメですよ。
お友達のお子様のお名前で、お悩みなのですね。
空羅。
あなたのイメージでは、からっぽで縛られている。
自分から納得できる名前ではないのですから、それは歯痒い事でしょう。
この場合、お友達にも真っ向から批判できる問題でもありませんしね。
あなたは、そのお友達に対し、どこか認められないものがあるのではないでしょうか。
私にはそう感じるのです。
だから、友達の感性で決めたものに違和感がある。
客観的に考えれば、そう悪くない名前と思うのに。
友達の生き方を、まるっぽ受け入れてあげて下さい。
そうなれば、その子の名前のイメージも大きく変わります。
ご質問ですが・・・
私は、ほぼ毎日写経をしておりますが、「空」も「羅」も不思議と両方お経の漢字に含まれております。
なので、感覚的に違和感がありません。
私だけの意見です。