本当の自分は何処を探してもいない。自分って何なんですか?
自分って何なのだろうとよく考えます。
私が思うに自分というものは親の遺伝的要素と生まれた後の家庭環境、時代背景、人間関係、たまたま目にした事、経験した事の蓄積から自分が構築されてきたのだと思います。
私一個人の事をとっても、私は格闘技をやり仏教神道を学びますが、何故でしょうか?
自己分析するならば、私は生まれながらに身体が細く弱かったのでそのコンプレックスを克服するために格闘技が必要でした。
生まれながらに身体がでかく強ければ格闘技はやらなかったでしょう。
私の親は子供に愛情を注いだり、智慧を貸したりはしませんでした。
だから自身で智慧を学ぶ必要がありました。日本にはお寺神社があり、本屋には関連書籍が並んでいたので、それを学ぶ事に意義を見出しました。
もし私の親が愛情深く、智慧のある親だったら仏教神道を学ぶ事はなかったでしょう。
最近、新幹線で無差別殺人をした男性がいましたね。彼は家族関係が悪く、家出をして思い詰めての犯行だったようです。
彼を擁護するつもりはありませんが、彼の親が愛情深い親だったら、もし信頼できる親友や先生がいたら、一人でも理解してくれる人がいたら、雇用が安定した社会だったら…彼はそんな犯行は犯さなかったかも知れません。
これを閲覧して下さっているお坊さまも実家がお寺だから継いだという方も多いかと思います。
もし実家がお寺じゃなかったらお坊さんしてると言えますか?
このように確固たる私というものが何処にも見当たらないのです。自分では何も選んではいない、まるで環境に流される自分がいるだけのようです。
そういった中でも社会に出れば、私というものの価値がすべて私の自己責任のように言われ辛い目に合う事も多々あります。
仏教では「仏性」という善なる心があると諭しますよね。それは知っています。
そしてはっきり言って私は生きてるのが辛いのです。こういう自分でいたくなかった。
それなら死ぬのも成り行きであり…という事にならなそうなのが人生ですよね(苦笑;)
人生って、自分ってホント何なのでしょうね?結局は運ですか!?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
運というより縁ですね。
ただ、どのような縁と巡り会えるかとなると、そこは運かもしれません。
本当の自分はどこにも無い。
そうかもしれないですね。
全て縁によって存在しているのですから。
自分も他人も同じである。
自分も大自然も同じである。
もしそう感じることができたなら、他人の喜びを自分の喜びと感じることができるでしょう。
他人の苦しみを自分の苦しみと感じることができるでしょう。
その境地はまさに仏様の境地だと思います。
そう思います。
拝読させて頂きました。あなたがおっしゃるように人生はめぐり合わせですよね。目には見えない中で様々なつながりの中で自分の人生も作られていくように思います。
生まれてきた親や環境によってその人の人生は大きく左右されることになりますね。
私はお寺の長男に生まれてきましたからもしもお寺に生まれてこなければ僧侶にならなかったと思います。とはいえ様々なめぐり合わせによって導かれてきました。そして最終的には自分自身で判断しました。
様々なご縁もあります、そして自分自身で試行錯誤しながら様々な選択肢の中から選んだ道でもあります。
私はそのような過程や判断は大事なことだと思います。
どのような過程や状況にある中でも我が身の思いや行いは自ずと我が身に返って参りますからね。
その出てきた答えからまた自分自身をかえりみることができるかどうかは生きていく中では大切なことではないでしょうか?
この世の中で起こる様々なことも世界や社会や国など様々に責任あるかと思います。その中で本当にわずか些細かもしれないですけれど自分もその一翼は担っているかと思います。
仏様の目線から見たら私達人間全て生き物全てが愚かな存在かと思います。そして沢山のあやまちを犯し続けている私達ですからね。
そう思うとあらためて自分自身の考えや行いを見つめなおしてみることかと思います。
このような状況だからしょうがない、ということではなく、自分のこと人のこともじっくりと見つめなおしてみることは大切かと思います。
このような自分であるけれどもできるだけ悪しき考えや行いをしないようにと心がけていくことも必要かと思います。
仏様はいつ如何なる時でも私達を決して忘れることはありません、決して見捨てることもありません。必ずいつでも見守っていて下さいます。そして必ず私達をお救いなさって下さいます。
あなたがこれからの未来に沢山の素晴らしい出会いに恵まれて心から豊かな毎日をお過ごしなさっていかれお健やかにご成長なさっていかれますようにと心よりお祈り申し上げます。
こんにちは
私も長い間「自分探し」をしていましたが、おっしゃる通りで、どこか他の所に「自分」がいるわけないんですよね。自分はここにしかいません。
「確固たる自分」なんてない方が良いと思いますよ。それを求めたらただの反省しない頑固者です。
縁に従って柔軟に変化し進化する、朝起きたらまっさらの新しい自分だ。それで良いと思いますよ。
質問者からのお礼
お礼のコメント遅くなり申し訳ありません。
私はいまの自分というものを認められないが故に自分って何なんだと考えてしまっているようです。
回答くださったお坊さまの言う通り、
自他の区別をせず
この自分が勤めて努力し
自分が何かという事にとらわれない
…という事が大事なんですね。
なかなか苦しい近況の中ではすぐに出来そうにないのですが、お坊さまの回答も読み返しながらそういった考えを体現できるようにしていきます。
ご回答誠にありがとうございました!